書評 BN (2019年2月16日更新)

  • 2019/3/16

書評BNリスト

書評 『バンクシー ビジュアル アーカイブ』(2019年2月13日)

書評 学部推薦図書に推薦した本(1)『華氏451度』(2019年2月21日)

書評 学部推薦図書に推薦した本(2)『感性は感動しない』(2019年2月23日)

書評 学部推薦図書に推薦した本(3)『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』(2019年2月24日)

 

 

 

 

書評『バンクシー ビジュアル アーカイブ』

 

『バンクシー ビジュアル アーカイブ』(ザビエル・タピエス著 和田 侑子訳)

2018年 グラフィック社

 

2018年のアートシーンを沸かせた絵画「風船と少女(Girl with Balloon)」。10月5日、ロンドンのオークションハウス・サザビーズで、落札直後に、額縁に仕掛けられたシュレッダーで絵の下半分が短冊状に切断された。落札額は、100万ポンド(約1億5千万円)。

バンクシーはこの絵の作者である。『バンクシー ビジュアル アーカイブ』の初版第1刷の発行は、2018年7月25日。「風船と少女」の出来事を挟んで、12月25日に第2刷が発行されている。帯には、「芸術なんか切り刻め シュレッダー事件で大反響 『バンクシー』のすべてがわかる作品集 重版出来」とある。残念ながら、「すべて」ではないが。

街路のグラフィティ・アーティストとして知られるバンクシー。それが何者なのかを知る人は限られている。本名や経歴は公表されていない。本書でも、バンクシーの活動開始は、解説文では、2002年、ブリストルのバートンヒル地区とある。ところが、掲載作品は1999年から始まっている。野外のグラフィティのほか、大規模なインスタレーションや屋内展示作品など52点が、1999年から2018年まで制作年順に並べられ、写真と文章で紹介されている。時期ごとに7つの章に分けられ、各章の初めには、その時期のバンクシーの活動を点で示した世界地図と、美術館等での展覧会の一覧表が付けられている。

「風船と少女」も最初はグラフィティだった。本書では、「いつだって希望はある(There’s Always Hope)」(2002年)で、そのイメージが紹介されている。バンクシー作品か、と騒がれ、小池東京都知事が「カワイイねずみ」とツイートした作品のイメージは、本書の「クラックを食べればいいじゃない(Let Them Eat Crack)」の「ねずみ」に似ている。

作品は、見開き2ページを使って紹介されている。「写真」、「添えられた言葉」、そして「描かれた場所」、更に、それを巡る第三者の言説。取り合わせの妙が、たまらない。

(2019年2月12日脱 富田与)

 

 

 

書評 学部推薦図書に推薦した本(1)

『華氏451度』 レイ・ブラッドベリー

 

『華氏451度』 レイ・ブラッドベリー著、宇野利泰訳、1975年、ハヤカワ文庫

 

この本を、初めて手にしたのは、高校生の時だった。かなり前の話だ。何人かの読書仲間がいた。そのなかの、一人が教えてくれた。その頃、別の一人と、ホームズ全作読破を競っていた。長編4、短編56だから、それほど時間がかかるとも思えない。ところが、3カ月ぐらいはかかってしまった。ホームズの短編に慣れてしまったせいか、読み始めは、少し、いらいらしたのを覚えている。薦めてくれたのが、男の子だったら、早々に、退散していたかもしれない。

久しぶりに、この本を手にしたのは、2004年。マイケル・ムーア監督の映画『華氏911』が発表された時だ。それだけではないような気もするが、ブッシュ政権批判の映画として知られる。「911」は、2001年同時多発テロ事件の日付でもあり、救急電話の番号でもある。対テロ戦争の時代の空気に、ブラッドベリーがこの本を書いた1950年代米国のそれを読んだのは、ムーアだけではないだろう。

また、似たような空気が吹き始めている。50年代米国、テレビが普及し、センセーショナリズムが日常化。マッカーシズムの煽りで、政権批判は憚られた。いまはインターネットだ。テレビ以上に煽ってくる。トランプは、プレス批判で、見る者の眼を事実から逸らさせる。そして、本離れ。通奏低音にあるのは反知性主義だろう。案の定、2018年、テレビ映画化。

華氏451度は、紙の燃焼温度。この本では、本が禁止され、焼かれてしまうような、近未来が描かれている。その世界、ある時までは、それで幸せだった。さて、続きは各々で。

(2019年2月20日脱 富田与)

 

 

書評 学部推薦図書に推薦した本(2)

『感性は感動しない』 椹木野衣

 

『感性は感動しない』 椹木野衣著 2018年 世界思想社

 

現代アートを、時々、見に出かける。そんな話をすると、どうやって見るんですか、分かりますか、と同じような反応が返ってくる。そうじゃない時も、たまには、あるけれど。批評家でもなく、専門の研究者でもなく、ましてや作家でもない僕に、答えられるはずがない。かといって、見ていないわけではなく、まったく分からないわけでもなく、教材に使うことすらある。教材と言っても、もちろん、美学や美術史や芸術学の講義ではない。卒論指導や国際関係の講義で使うことが多い。

自分が、現代アートを、あるいは、ほかの絵画などを、どんなふうに見ていたのか。この本は、それを言葉にしてくれているようだった。それを言葉にできるか、できないか。専門家と素人の違いは、そんなところにあるのだろう。もちろん、言葉にするといっても、独り言のことではない。誰かに伝える言葉だ。彼の『シュミレーショニズム』は、論文で参照させて頂いたことがある。同世代のせいもあるのだろうか。頷ける。

この本『感性は感動しない』を読んだ時も、同世代を感じた。無理もないのだ。この本は、明らかに、人生のある時期に照準があっている。青春。高校生、受験生、そして大学生。筆者と僕は、間違いなく、違う場所で、同じ時代を、似たような人生の時期に経験している。読者としても、そうした人生の時期にある人々を想定しているようだ。読み易い。

巻頭の表題作「感性は感動しない」を除くと、全体が三部構成。「Ⅰ 絵の見方、味わい方」、「Ⅱ 本の読み方、批評の書き方」、そして「Ⅲ 批評の根となる記憶と生活」。それぞれに12~13のエッセイがある。色々な読み方ができそうな気がする。

(2019年2月20日脱 富田与)

 

 

書評 学部推薦図書に推薦した本(3)

『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』 マレー・シャナハン

 

『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』 マレー・シャナハン著 ドミニク・チェン監訳 2016年 NTT出版

 

今年まで、「現代社会と人間」という講義を担当してきた。前任の担当者から引き継ぐとき、多少迷った。あえて「現代社会」という以上、現代以前の社会や、現代以後の社会のことも考えないわけにはいくまい。「人間」という以上、人間以外の存在のことも、やはり、考えざるをえないだろう。とはいえ、未来はこうなる、という「おみくじ」のような議論には、どうも馴染めない。まして、それを材料に講義を組むのは、憚られる。

幸い、適当なテキストが見つかった。最初は、『21世紀の課題に備えて』(ポール・ケネディ著 草思社)。しばらくして版が切れてしまった。次は、『経済と人類の1万年史から、21世紀を考える』(ダニエル・コーエン著 作品社)。これは今年まで使えた。この『シンギュラリティ 人工知能から超知能へ』の問題意識にも、同じようなものを感じた。

「まえがき」にこうある。「(前略)特定の未来予測のシナリオに加担することなく、特定の時間軸を前提とすることもなく、未来におけるいくつかの可能なシナリオを検討する(後略)」。実際に読み始めてみると、さすがに、専門外の話だけあって、専門用語には手古摺った。後ろの方に、グロッサリーもついてはいるが、それだけでは足りなかった。ただ、話の筋自体はわかり易い。少なくとも、頷いたり、首を傾げたりはできる。初めて読了したのは、2年ほど前。その後、様々に報じられるAIの話題を考えるときの、ひとつの参照点になっている。

蛇足のような話だが、この本を読みながら、高校時代に、出たばかりの『第三の波』(アルビン・トフラー著 日本放送出版協会)を読んだ時のことを、思い出した。当時の、僕には難解だった。ただ、その後のある時期、しばしば、思い出さざるをえない本となった。もちろん、いまから見ると疑問もあるが、コンピュータ社会の在りようを先取りする内容だった。少し背伸びをして、少し難解だと思う本に手を出すのも、たまには、悪くない。

(2019年2月20日脱 富田与)

 

 

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