時事雑感 パリは燃えているか(1)

  • 2019/4/20

ノートルダムが燃えた。夜中に目が覚め、習慣で、枕元に置いたスマートフォンを手に取った。時間を確かめてから、やはり習慣で、BBCとNHKのホームページへ。ノートルダムで火が上がったという。専門柄、まずは、事件性を疑った。ここ数年、銃撃や爆弾事件、デモが頻発している。次第に、失火の疑いが報じられ始めた。

NHKはホームページでライブ映像を流し続けた。さすがに途中で布団に戻ったけれど、朝まで、ときどき、思い出したように、ノートルダムが気になった。パリに行ったことはない。まして、ノートルダムを見たこともない。にもかかわらず、ショックは大きかった。

われらが婦人。聖母マリアを意味する、ノートルダムの日本語訳だ。世界遺産でもあり、観光地としても有名だ。ただ、僕がショックを受けたのには、別の理由がある。僕の頭のなかにあったノートルダムやパリのイメージのせいだろう。勝手な憧れと言えば、それまでだが、その憧れ、あるいはイメージには、それなりの訳がある。1冊の本と1本の映画だ。

『遙かなノートルダム』。森有正の著作だ。大学時代に読んだ。文化人類学を専攻していた2年生か3年生のとき、ある教員から、理論に引きずられ過ぎだ、と諭された。確かにレヴィ=ストロースにはまっていた。理論とフィールド・ワークのバランスに戸惑っていたときに、哲学を専攻する大学院生が紹介してくれた。『アディアフォラ』という同人誌の仲間だ。思索や体験を、言葉を通して1人にひとつずつの経験としていく自己の定義、とでもいえるだろうか。孤独な作業のようだ。薦めてくれた院生の意図は分かるような気がした。ただ、それ以上に引き込まれたのは、森が、実際に見た、建築や芸術作品、あるいは音楽の話だった。ノートルダムが見たくなっていた。自分で考えたのか、同人仲間の誰かの話か、あるいは森自身が書いていたか、はっきりとはしないのだけれど、森が言う定義のときの孤独さ、のようなものの象徴が、今回燃え落ちてしまった尖塔なのかもしれない、と思ったのを覚えている。つづく。( A. T. )

関連記事

受験生サイト
環境情報学部
情報センター
ページ上部へ戻る