展評 小布施散策  おぶせミュージアム・中島千波館、 高井鴻山館、 北斎館

  • 2019/5/7

 

 

おぶせミュージアム・中島千波館

(1)

もう、しばらく前の話になる。長野市の水野美術館で中島千波の「臥龍桜」を見た。はじめは、いわゆる、写実的、といった感じがした。ただ、しばらく見ていると、どうもデザインされた装飾ではないかと思いはじめた。屏風絵は、古いものから新しいものまで、洋の東西を問わず、何人もの作家の作品を見ているはずなのに、なぜか、それまで、そんなことを考えたことはなかった。水野美術館の図録で、中島が小布施の出身であることを知った。

小布施は、帰省するとしばしば訪ねる。このミュージアムがあることも知ってはいたが、ふだん車を止める場所からは多少離れているせいもあり、なかなか訪ねる機会がなかった。今回、はじめて訪ねることにした。駐車場も、近くで見つかった。初めての美術館では、まずは、常設展が楽しみだ。特に、個人美術館では、作品ができるまでのプロセスや、連作あるいは関連作品にフィーチャーしているのが面白い。この時は、常設展のほかに、「ShinPa2019 ―迷宮―」展をやっていた。

常設展では、やはり足が進まない。いや、一応は進むのだけれど、数点がまとめて見られる、少し離れた場所で足が止まる。まずは、「双子の流星」と、それに続くガーベラのデッサン2点。どうやら、デッサンがそのまま作品になっているわけではなく、例えば、左半分が、ひとつのデッサンのある一部から、ある花は別のデッサンから、それぞれとられているようだ。デッサンが写実だとするならば、「双子の流星」は、写実から作られたデザイン、ということだろうか。臥龍桜を思い出した。

次に足を止めたのは、「坪井の枝垂櫻」と、その3枚のデッサン。こちらの方は、どんなに見ても、作品のここは、このデッサンのここ、とまでは分からない。そうではないか、と思うところはあるのだけれど、「双子の流星」のように、はっきりとはしない。あらためて、臥龍桜を思い出した。写実から作られたデザイン、などと単純化できる所作ではなさそうだ。(A.T.)

 

(2)

「ShinPa2019 ―迷宮―」展へ。東京藝術大学出身の若手作家たちによるグループ展だ、と聞いていた。常設からの移動途中にミュージアムショップがある。図録が目に入った。普段は、展示を見る前に図録に目を通すことはまずない。特に理由はないのだけれど、そんな習慣になっている。今回は違った。見て行け、とばかりに置いてある。

参加15名の経歴を見ると、藝大の学部か大学院でデザインを修めているようで、中島研究室の出身が多い。なかには僕とあまり歳の違わない作家もおり、若手、というのは少し引っかかったが、それぞれの業界事情や、若さの定義の変化や、2007年の初回当時の話がそのまま引き継がれているだけかもしれないなどなど、色々ありそうだけれど、いいように解釈することにした。

迷宮のイメージや概念から抽出した漢字一字をテーマに、それぞれが作品を作っている。まずは一巡、と思ったのだけれど、それぞれのところで引っかかった。スケールの大きさ、制作に投じられた時間の長さや、集中の度合いを感じさせるもの、コンセプトの面白さなどなど。立ち止まる時間が長かったのは、「妖し異界の飯作り録」平良志季、と、「螺旋群像図」古家野雄紀、の2点だ。

「妖し異界の飯作り録」は絵巻物。テーマは「妖」。例によって、視線が気になった。右から左への大きな物語の流れは、確かに、視線を追いかけていけば跡付けられる。ところが、ところどころで視線が渦を巻いているように見える。プロットの切れ目なのだろうか。図中に書き込まれた文字が小さくて、僕の眼では読み切れないのが残念。

「螺旋群像図」。テーマは「廻」。絵巻物ではないのだけれど、およそ2m×7mの横長の大作だ。そこにいくつもの渦を巻くように群衆が描かれている。ここでも視線が気になった。追いかけているうちに、実はかなり複雑な流れになっていることに気が付いた。全景が見える場所まで、目を、いや体を退いてみた。確かに複雑だ。ふと、昨年、藝大コレクション展で話題になった戦没画家、久保克彦の「図案対象」が頭に浮かんだ。といっても展覧会には行けず、図版でしか見ていない。後で、もう一度図版を確かめてみると、螺旋のようなものが見える第二画面と、似ていなくもない。予備知識というのは怖い。久保も東京美術学校で図案、つまりデザインを修めている。最初に図録を見てしまったことが、こんなところに出てきたのかもしれない。(A.T.)

 

 

高井鴻山記念館

博物館や美術館が多いところでは、周遊券や共通券を発行するところが増えた。小布施にもある。おぶせミュージアム・中島千波館の受付で少し迷いながら、共通券を買うことにした。展覧会を見るときには、どのくらい時間がかかるかが読めない。それを考えると、周遊券や共通券を買うのは、いつも迷う。今回は、買ってみることにした。

高井家は商家でもあり大地主でもあった。鴻山は家業を継ぐ傍ら、江戸や京に遊学したり、小布施に滞在した北斎からも絵を学んだりしている。鴻山は、晩年に描いた妖怪画で知られ、しばらく前から続いている妖怪ブームのなかで、色々な展覧会でも紹介されている。

今回は「鴻山の花鳥山水」展をやっていた。これまでに見た妖怪画の幾つかで、どうしても引っかかることがあった。今回、花鳥山水画の「菊図」を見て、これまで引っかかっていたことが、大きく外れていないのではないか、と思い始めた。百鬼夜行の一部のような行列を成した妖怪画の軸や、「菊図」のような下から上に花が連続して描かれている軸では、その構図が、山を描いた山水画の軸絵の構図と似ているような気がする。妖怪や花が、山水の山の岩のように、途中でうねりながら下から上に積み上げられているようだ。妖怪の顔や、花の向きは、山水画の岩面のようにあちこちに向きを変え、多少落ち着きがないようにすら感じる。そのせいだろうか、特に「菊図」で感じるのだけれど、花たちが動いている。おまけに、もっとも遠く感じる消滅点のようなものが、画面の下から4分の一やや右あたりにあり、その上下左右にある花たちはこちらに迫り出している。縦長の軸絵のせいもあるのだろう、見る者に向かってぬぅーっと飛び出してくる妖怪のようだ、とも言えるかもしれない。

ここでは、展示に充てられた土間や土蔵のほかに、旧邸の内部も開放されている。開け放たれた二階で、少し休憩。いくら好きでも、立て続けに2か所見るのは疲れる。ShinPaの定義では、若手のはずなんだけれど。最後は北斎館。(A.T.)

 

 

北斎館

小布施に来ると、北斎館か、あかり博物館に必ず立ち寄る。両方見ることもある。今回は、共通券が使える北斎館に。小布施では、何回となく北斎を見ている。小さな頃は叔父家族と一緒に来ることが多かった。東京から帰省すると、名物の栗おこわと栗菓子を賞味によく小布施に出かけていた。ついでのように、土蔵の中に展示されている中野の土人形コレクションや北斎の屋台絵を見た。土人形というのは陶製のお雛様だ。北斎館とあかり博物館ができたのは、もう少し後になってからのことだ。

今回はじめて気づいたのだけれど、小布施町のマンホールの蓋絵は、北斎の屋台絵からとっているようだ。アイキャッチに使うことにした。土人形は今も土蔵の中で見ることができる。そういえば、中島千波には、土人形の連作があったと思うのだけれど、今回は展示されていなかった。季節柄のせいだろうか。

北斎館まで来て、共通券を買ったのを少し後悔した。中島千波館と鴻山記念館で時間をかけ過ぎ、ここはかなり急ぎ足で見ざるを得なくなってしまった。今回は「面白すぎる!! 北斎漫画の世界Ⅲ」展をやっていた。連休のせいもあるのだろうけれど、家族受けする展覧会でもあるようで、カップルと家族連れでかなり込み合っていた。北斎漫画を扱った類似の展覧会は他のところのものも含めて何回も見てはいる。それでも、毎回何かの発見があるのが北斎漫画の面白ところだ。残念ながら、今回は落ち着かなかった。ルーペも用意されていたのだけれど、結局、手に取ることはできなかった。

漫画のところを急ぎ気味に通り抜けたおかげで、常設の肉筆画のところでは、少しだけゆっくりできた。他所ではなかなか見る機会のない、応為の肉筆に目を休めた。「貼り交ぜ屏風 百合図」、「竹林遠見の富士」。北斎の娘、お栄。小説や漫画、あるいはそれらを原作とした映画やドラマでも知られる。それまで急いていたせいもあるのだろう。旧知に再会したようで、少しほっとした。

周遊券や共通券にはメリットもある。ただ、あらかじめ時間の余裕を考えた計画をたてておかないと、状況次第では、途中から窮屈な思いすることになる。これは慣れたところでも同じだ。今回の教訓である。(A.T.)

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