展評 BN (2019年5月23日更新)

  • 2019/5/22

BNリスト

展評「浮世絵モダーン」(1)、(2)(3)、:2019年2月6日、2月13―14日

展評「光を求めて 春草、観山から加山又造、平山郁夫まで」(1)(2):2019年2月15-16日

展評「エロール・ル・カイン展」(1)(2):2019年2月26-27日

展評「パラランドスケープ展」(1)(2):2019年3月3-4日

展評 「yellow ―黄色いものいろいろ―」展:2019年3月10日

展評 「古萬古 ―弄山生誕301年目の春―」展:2019年3月11日

展評 犬山散策(1)「野外博物館 明治村」:2019年4月3日

展評 犬山散策(2)「城とまちのミュージアム・からくり館」:2019年4月4日

展評 三重県立美術館 常設展(1)(2):2019年4月14-15日

展評 川喜多半泥子の愛蔵品―茶道具を中心に―(1)(2):2019年4月16-17日

展評 M.C.エッシャー展(1)(2):2019年4月28日

 

 

展評「浮世絵モダーン」

(1)

展覧会に行くと、時々、期待したものとは全く違うものに出会うことがある。今回の「浮世絵モダーン」展もそうだった。会場は、菰野町にあるパラミタミュージアム。なかなか時間が取れず、結局、出かけたのは会期最終日(2019年1月14日)になってしまった。

しばらく前から、美人画が気になっている。きっかけは上村松園。同じパラミタミュージアムでの展覧会「上村松園・松篁・淳之三代展」(2014)だった。今回も、伊東深水の美人画を見ようと出かけた。ところが、今回は、瀬川巴水と吉田博の風景画に出会った。実際、かなりの時間をかけたのは、深水の美人画にではなく、巴水と吉田博の風景画の方だった。

美人画を見るようになってから、美人画に限らず人物画を見ると、まず、被写体の目と手を見るのが習慣になっている。目は、目そのものよりも、まずは視線。視線は読み取れるか。視線の先には何があるのか。手は、まずは、そもそも手が描かれているのか。何をしているのか。その辺りから入っていく。

制作年順に並べられた深水の美人画を、展示順に辿っていくと、次第に、視線がはっきりと読み取れるようになっていく。視線の先がはっきりと分かるものばかりではない。ただ、目の表情なども合わせると、その絵には描かれていない、被写体の生活風景や心情のような、物語が想像できた。逆に、時代を遡るように辿っていくと、目や視線に含まれる物語よりは、むしろ、被写体そのものに意識が向かわされるように感じた。

手の場合は少し違う。手は、何かを持っているか、何かをしている時にしか描かれていないようだ。描かれていたとしても、表情らしきものは あまり感じられない。そういえば、江戸期の浮世絵でも、美人画に描かれた女性像の、手の表情はにわかには思い出せない。

 

(2)

アニメのセル画。とはいえ、もちろん大きさは全然違う。今回、巴水の風景画を見た時の第一印象だ。何年か前、「軽井沢の森 絵本美術館」や「三鷹の森 ジブリ美術館」で見たジブリ・アニメの原画やセル画が目の裏によみがえった。巴水の風景画は、これまでにも何回か見ている。ただ、こう感じたことは、これまでなかったような気がする。

今回の展覧会は5章構成で、展示作品も302点と、規模だけでも見応えがある。深水の作品が並んでいた「Ⅰ女性 近代美人画の諸相」の次が、「Ⅱ風景 名所絵を越えて」。深水の作品に限らず、美人画のところでは、まずは、そこに描かれた視線の先を追いかけた。実際には描かれていない視線が、絵画を見るこちら側、つまり僕の眼の導線になっていた。

風景画には、それが無い。導線に沿って自分の眼を移動させるなら、その絵画がよほど大きくない限り、比較的近い位置から見る方が見やすい。ところが、導線がなければ、まずは眼を退き、つまり一歩ないし数歩後ろに下がり、画面全体を見渡すだろう。そうなると、画面に表現された距離感がどうしても気になる。

巴水の風景画も、全体を見ることから始めた。「ひずみ」とでも言うのだろうか。色彩から感じられる距離感と、構図から感じられる距離感とのずれが、点々と、感じられた。列車の中で写真を撮ると、窓から見える景色は、時には流れてしまい、ちゃんとした形にはならない。巴水の版画は、別に、流れているわけではない。何というか、列車が動くことで、窓から覗く山や雲や木や川の位置関係が、どんどんと変わって行く途中のような。

もちろん、色彩のせいもあるだろう。ただ、それならば、今までにも同じように感じていたに違いない。おそらくこれではないか。視線がないせいで気づかされた、動きの途中のような距離感。この展覧会で、巴水の版画がセル画のように見えた理由は。

 

(3)

吉田博の風景画、「瀬戸内海集 帆船 朝」。太陽が輝いていた。輝いているように見えたということだが。初めは照明を疑った。時々、作品をカバーしたガラスに照明の光が反射して、ガラスの方が輝いてしまうことがある。着けていたマフラーで照明を遮った。これをやると、しばしば怪訝な顔をされる。今回は大丈夫だった。照明を遮っても、輝いている。いや、そう見える。画面のほぼ中央に描かれた帆船の、二本の帆の、遙かに後方から、陽光は、真直ぐに僕の眼に向かったままだ。

反射しているのは支持体の紙か。あるいは反射するような絵の具を使っているのか。今度は、太陽に目を近づけた。なるほど、そういうことか。少し離れたところから見ていると、多色刷りの一様な色面のように見えた太陽光の正体は、短くて細い線の集まりだった。

太陽の中心を囲むように、同心円状に並ぶ、比較的太めの短い弧とは別に、太陽の中心からやや距離をおいた円周を起点に、短くて細くて、そして真直ぐな線が、放射状に並んでいるようだ。神経質にも見える短くて細くて、そして真直ぐな線のひとつひとつには、それぞれ違った色が配されている。起点から離れるほど線の長さが少しずつ伸びている。

点描、筆触分割・・。印象派の解説で、しばしば、見かける技法の名前が頭に浮かんだ。とはいえ、点描ではなくて線描、しかも筆で描いたものではなくて版画だ。技法はともあれ、気になるのは輝きだ。この神経質そうな短くて細くて、そして真直ぐな線の群れと、そこに乗せられた色彩が、件の輝きを作っていたようだ。

展覧会は、風景画のあと、「Ⅲ役者 歌舞伎から新派まで」、「Ⅳ花鳥 求められる伝統性とその変容」、そして「Ⅴ自由なる創造 さまざまな画題と表現」と続いた。入館したのはほぼ正午。展覧会を見終えて、中庭に出るころには、空にはもう太陽はなかった。                       (2019年2月13日脱 富田与)

 

 

展評「光を求めて 春草、観山から加山又造、平山郁夫まで」

(1)

今年の「展覧会はじめ」は水野美術館(長野市)。今年も、というのが正しい。去年も水野美術館だった。1月2日、「光を求めて 春草、観山から加山又造、平山郁夫まで」展。水野美術館を創設した水野正幸は、キノコ栽培で知られるホクト株式会社の創設者でもある。彼の日本画コレクションで始まった「水野コレクション」は、約500点。ここでは、このコレクションを使った展覧会が多い。エッジの効いたタイトルが目立つ。例えば、去年の新春は「色の美術館‐川合玉堂から高山辰雄まで‐」。去年は「色」、今年は「光」である。

この日には、例年、おまけがつく。福引と落語会だ。去年は一等。キノコの詰め合わせを引き当てた。ほかの美術館で、この賞品はないだろう。気をよくして、今年も運試し。あいにく、ハズレ。記念にもらった一筆箋も悪くない。落語会は、上首尾だった。席券は来場順に無料で配られる。去年は逃したが、今年は間に合った。松本出身の和泉屋志ん治師匠。なぜか、「めくり」もなく、演目の紹介もなかった、ように思う。あるいは、気づかなかっただけか。よくあることだ。

長い「まくら」。江戸風物を交えた小噺集のようだ。ようやく、噺が始まる。筋からすると、「抜け雀」(江戸)か、「雀旅籠」(上方)。いかにも美術館の落語会。カネのない絵師が、小田原の旅籠で、いろいろとやらかす。客席には若い姿もちらほら。ずいぶん長いな、と思ったさっきの「まくら」。なるほど、こういうことか。江戸風物に馴染みのない、若者向けの、導入だったのかもしれない。妙に納得しながら、あとは、一年分笑わせてもらった。

おあとがよろしいようで。それでは、展覧会の話は、「光を求めて 春草、観山から加山又造、平山郁夫まで」(2)で。

 

(2)

 閑話休題。「光を求めて春草、観山から加山又造、平山郁夫まで」展の話である。作品数は47点。飯田出身の菱田春草の作品が多い。横山大観と合作の「旭日靜波」を入れると9点。順を追って見ていくと、「光」より、むしろ、「影」の方が気になりだした。特に、春草。他の美術館でも、何枚か見たことはある。ただ、「影」を見ながら、会場を何往復もしたのは、他でも、ここでも、初めてだ。とりあえず、軸装2点との対話。

まずは、「雪夜」(1909年)。画面の9割近くを占める山の上から、満月が、こちらを向いている。ゆっくりと曲がった稜線が3本。最上の稜線と、中間の稜線の上には、小さな太い線のような木々が、群れを成しながら、点々と。一番下の稜線辺りには、形がはっきりわかる木々と、家が数軒。小さな木々の色は、基本的に黒。形の分かる、近景の木々も、その濃淡が村の奥行きを教えてはいるが、やはり黒。月と対面するこちら側から見ると、木は、影になった側しか見えない、ということか。稜線に挟まれた山の斜面には、薄く影が描かれ、緩い凸凹が感じられる。ただ、黒は、どこまでも淡い。そこで首をかしげた。雪面にあってもいい、木々の影が見当たらない。雪はあくまでも白い、いや、月光が雪に反射して影まで消しているのか。なるほど、だから「雪夜」か。

もうひとつは、「羅浮仙」(1901年)。羅浮仙は、中国の故事に登場する、梅の古木の精。左上部に、画面の外側から差し込んだ、梅の古木の枝。全体に靄がかかったような、幻想的な画面中央やや下には、羅浮仙が独り。静かに立っている。青みかかった上衣と白い下衣。全体に白みがかったところに、さらに、点々と胡粉。地面にあってもよさそうな、羅浮仙の影は、やはり、ない。そうか、羅浮仙自身が、光っているのか。

会場を出ると、長野の風は寒かった。週間予報ははずれ、この辺りに、積雪は無かった。

(2019年2月14日脱 富田与)

 

 

展評「エロール・ル・カイン展」

(1)

展覧会の初日には、何か別の用事が入る。よく当たるジンクスのようなものだ。個人的な話だが。今回は、はずれた。2月23日。どうせなら開館に合わせて、と意気込んだが、30分ほど遅刻。すでに、先客が、相当いた。

ル・カイン。実は、どんな作家なのか、よくは知らない。子どもが、小さかった頃、書店の絵本のコーナーに、気分に任せて、ときどき立ち寄っていた。『キューピットとプシケー』の表紙が目を惹いた。『14ひきのシリーズ』(いわむら かずお著)が好きで、その近くで、見つけた。パラミタミュージアムのホームページの、展覧会の告知に、この表紙。出かけることにした。

失礼な話と言えば、失礼な話なのだが、どの展覧会でも、最初に置かれている あいさつ や、作家の紹介は、後から見ることにしている。ひとつには、必ず、そこには人がたまるからだ。しばしば、その団子が、そのまま動いていく。何だか、ツアーに参加しているようで、ちょっと、好きになれない。今回は、団子はなかったけれど、吉例にしたがった。どんな作家なのかも、よく知らないまま、作品を見始めた。

不思議な世界だ。まったく見知らぬ異国、あるいは、まったく別の世界といった不思議さとは違う。確かに、ヒトやモノの形は、実物とはかなり違うし、アールヌーボー風の動植物や曲線の意匠も、独特な雰囲気を作ってはいる。とはいえ、それは装飾の範囲。

「不思議ねぇ」。ご夫婦だろうか。女性の声が聞こえてきた。こんな時は、続きが気になる。何が不思議なんだろう。悪趣味と言われればそれまでだが、少しだけ、聞き耳を立てた。続きは、なかった。

この不思議さには、いろいろありそうな気がする。とりあえず2つ。行政用語のようで、ちょっと場違いな感じもするが、ひとつ目は「多文化共生」。もうひとつは、なかなか名詞では表現しにくい、「まだ、何か隠れているかもしれない」とでも言った、好奇心のような、功名心のようなものを刺激してくれる何か。

 

(2)

まずは、ひとつ目。しばらく、見進めるうちに、何か所かで首を傾げた。どこかで見たことがある。ここは北斎のようだ。ここも北斎か、いや広重にも似ている。こちらは芳年に同じような絵があったような。かといって、日本文化の香りがいっぱいの、ジャポニズムという訳ではない。それに近いのも、ないわけではないけれど。

ホームページの解説に、シンガポールで生まれ、英国で活動した、とあったのを思い出した。入り口に戻って、あいさつ と 作家の紹介を見た。いや、読んだ。通路には、紹介のビデオもあった。3分半ほどだったか。浮世絵や山水画の影響が指摘されている。

ただ、日本だけではない。ロシアやインド、さらに、中東やその他の世界の地域。ロシアにいた頃、イコンはよく見かけた。古いものから、新しいものまで。確かに、なぜかマトリョーシカのような彩の、イコンのような絵もある。他にも、仏教や、イスラム教を想起させる部分、などなど。コラージュという訳ではなく、それぞれが、それと分かるような形をしながら、全体として、何か、自己主張の強いそれぞれの部分とは直接は関係のない、別の物語の一部になっていたりする。多文化共生。

ふたつ目も、これと繋がる。ひとつの場面に、たくさんの部分が描かれている。背景のようにも見える、細密な絵。大きな部分を構成するいくつかの部分。だまし絵のような。離れて見たときと、近くで見たときに、違ったものが見える。絵本なのだから、物語がある。絵には物語のどこかのプロットが描かれている。でも、それだけじゃない。物語と、直接関係があったり、なかったりする絵が、隠れている。いつまでたっても、まだ、何かあるかもしれないと思ってしまう。なかなか次に進めない。

運動不足解消にと始めたスクワットが災いしたのか、3時間ほどで、足が痛くなってきた。やむなく会場を出てはみたものの、まだ、探し物は途中だったような気がする。

(2019年2月25日脱 富田与)

 

展評「パラランドスケープ」展

(1)

「パラランドスケープ」展。会場は三重県立美術館。パラランドスケープ(Para-Landscape)。聞きなれない言葉だが、接頭辞「para」が持つ、~を越えて、~とともに、といった意味あいを、ランドスケープと繋げたようだ。5人の作家が、5つのインスタレーションを展示。

今回は、入り口で手渡されるものが、いつになく多い。会場に入って分かった。キャプションがない。手渡された印刷物が、地図代わりだ。展示も、かなり違う。芸術祭などの、屋外の、つまり美術館のようなホワイトキューブの外の会場で、時々、経験する、実験的な定形外の感覚に、どことなく似ている。慣れるのに、しばらく、時間がかかった。

まず、エントランスホールの作品。気づかなかった。伊藤千帆「ひずみ、反響する」。大きな枝が、天井から斜めに下がり、下には白木の舞台のようなものが。南の窓にはラテックスのカーテン。もともと、エントランスホールに何があったのか、思い出せない。

Room1、Room2と回るうち、今度は、迷子になった。Room1は尾野訓大。壁と床と、階段と、窓の外の中庭にまで、極端なまでに大きさの違う写真がたくさん。道が、あるのか無いのかすらも分からない。そもそもどこに向かっているのか。すべてが見える場所は、ない。被写体は何なのか。それに見当がつくと、今度は、スケール感が混乱する。自分の大きさは、子どものそれか、大人のそれか。Room2は稲垣美侑。天井から何枚もの半透明な布。壁には絵。床にはオブジェ。やはり、迷子だ。いったい、どこにいるのか。

Room3、徳重道朗「対岸の風景」。最近、いろいろな所で、アートと、文化人類学や民俗学との接点に、出会う。フィールドワーク論の講義を担当しているせいかもしれないが。これも、そのひとつ。フィールドは、南伊勢町・大紀町・紀北町。美術館の備品を使って見立てた地形と壁の写真は、写真の景色を借景に、備品の石組みを設えた、日本庭園のようでもある。脳裏に浮かぶ海は、さしずめ、見えない池か。Room4は藤原康博。入り口でもらった印刷物を見る。既視感。なるほど。確かに、どこかで見たことが、あるような。ところが、近づいて見ると、お前が考えていたものとは違うだろう、と諭される。

 

(2)

「パラランドスケープ」展。見てきた、と言うよりは、行ってきた、と言う感じだ。かといって、何かつまらない展覧会を、さっと短時間で通り過ぎてきた、という訳ではない。むしろ逆である。滞在時間は、ほかの展覧会とほとんど変わらない。これがどれほどの意味があるかはわからないが、作品数を数えると、かなり少ないので、密度はいつもより濃いはずだ。単純計算では。しかも、3月1日の金曜日。人数もまばらで、ゆっくりできたはずだ。見た、というよりは、体験した、思考した、といったところだろう。思考は、さらに続いた。

帰りの列車で、東京都現代美術館の『TOKYO 見えない都市を見せる』展(2015-16)を思い出した。時間が取れず、残念ながら、図録でしか見ていない。80年代以降の東京を、6つのキュレーションと4つの新作で表現している。懐かしさや馴染みを感じた。今回の展覧会とは、かなり違うような気もするが、自分がかつて居た、あるいは頻繁に往来した都市も、自分が知っているランドスケープには違いない。

列車は、迷子になることなく、四日市まで僕を運んでくれた。ほとんど外は見なかった。列車からのランドスケープというと、車窓からの、三重の風景を思い浮かべる。ただ、列車のなかにも、座席からのランドスケープはある。しかも、乗りなれた列車の、中にあるランドスケープの方が、僕にとっては、車窓からのそれよりも、むしろ馴染みがある。

パラランドスケープ。ランドスケープを越えて。おかしな話だが、この展覧会を見て、むしろ、ランドスケープそのものが気になり始めた。それも、観光というような、特定の目的のためのランドスケープではなく、毎日を生きる、自分の日常を取り囲むランドスケープだ。展覧会の資料の稲垣美侑のところに、居場所、とある。もしかすると、ランドスケープを越えた、パラランドスケープは、ランドスケープの向こう側にではなく、こちら側にあるのかもしれない。今回の展覧会の、とりあえず、僕の結論だ。(2019年3月3日脱 富田与)

 

展評 「yellow ―黄色いものいろいろ―」展

BANKOアーカイブデザインミュージアムから、「yellow ―黄色いものいろいろ―」展の案内をいただいた。5回目の企画展だ。前回の「琉球の土器ナパリ焼」展は、見逃してしまった。ほかの3回は見ている。常設展も、入れ替えがあり、ときどき出かける。

決して広いとは言えないスペース。ある時期、ときどき見かけた、コンクリートを打ちっぱなしにした、パブか、スタンディング・バーのような雰囲気。入り口から、併設された喫茶スペースに続く、狭い通路には、アンティークが並べられ、売られている。それだけでも、ちょっとあやしい、気分にさせてくれる。

仕事場にしている、我が家のキッチンを見回して、やや首を傾げた。黄色いうつわは、ほとんどない。何年か前に、留学生が、帰省みやげに持ってきてくれた、茶葉の容器ぐらいか。それは趣味の問題だ、と言われてしまえば、それまでだけど。いただいた案内には、黄色は、このミュージアムのイメージカラーだ、とある。それにしても、何が、並んでるんだろう。

いろいろあった。たくさんはないけど。陶器、ガラス器、ブリキのおもちゃ、イコンなどなど。やはり、外国のものが多い。一巡したあと、うつわを拾いながらもう一巡。うつわを見る時には、いつも、何を盛り付けようか、と考える。やはり、使い慣れない色のうつわは、むずかしい。にらめっこしながら、はたと、気になった。透けてみる胎土の具合、釉の濃淡、後からついたのか、いろいろな染みやキズ、あるは汚れか、ほかの色のうつわよりも、はっきりしている。気のせいだろうか。

そんなつもりで、もう一巡。やっぱり、はっきり見えるような気がする。さて、黄色いうつわで、何をいただこうか。なかなか、思いつかない。

(2019年3月8日脱 富田与)

 

展評 「古萬古 ―弄山生誕301年目の春―」展

四日市に来て25年近く。萬古焼の面白さに気付いたのは、ここ5,6年のこと。中学生のころ、2キロ半ほどの通学路には、地元の松代焼(長野市)を並べた、陶器屋、骨董品屋、そして床屋があった。床屋のは、店主のコレクション。博物館もいくつかあった。ただで入れた。そんなところによく寄った。道草である。松代焼は江戸期に始まった。狭い地域での産業だが、窯や時代でずいぶん違う、ような気がしていた。萬古焼のバラエティは、その比ではない。とにかく分布が広い。時間的には、松代焼と大きな違いはないだろう。書物や解説で読む限り、それぞれの作家や窯の事情もあるようだ。

「古萬古 ―弄山生誕301年目の春―」展。会場は四日市市文化会館。萬古焼の開祖沼波弄山の作品25点と、弄山の死後半世紀を経て、それを再興した森有節の作品が22点、そして、有節の弟の千秋の作品が3点展示されている。3人の作品は、いろいろな形で、たびたび見ている。その度に、この3作家だけでも、意匠、造形、そして作り方にかなりのバラエティを感じてきた。今回も、それを感じた。

特に、面白いのは、弄山と有節の相当数の作品が、隣り合って並べられたところだ。これまで、なんとなく感じていたことが、そのことで際立って見えた。弄山は、こう言ってよければ、かなり自由で奔放な感じがする。習作あるいは実験的作品も少なくないような。有節の作品は、緻密で、丁寧で、そこからは独自の完成されたものへのこだわり、のようなものを感じる。技巧的、という言い方もあるのかもしれない。たまたま、会場においでになった、以前から色々とお世話になっている学芸員の方に、そんな話をした。同じような見方をしていらっしゃる由。

萬古焼の展覧会では、毎回、それまで気づかなかったことを見つける。バラエティのせいもあるのかもしれない。今回も、いくつか見つけた。通学途中の道草、という訳にはいかないが、また、足を運びたくなる。この展覧会も、ただで入れる。(2019年3月8日脱 富田与)

 

展評 犬山散策(1)「野外博物館 明治村」

雨風が強いとき、屋内で移動はできるのか。来るたびに気になる。旧三重県庁舎の建物だ。野外博物館明治村。愛知県犬山市にある。毎回、何がしかの目的がある。今回は、三重県関係の建造物3件と、北里研究所、金沢監獄。旧三重県庁舎、旧三重県尋常師範学校校舎、宇治山田郵便局のうち、宇治山田郵便局は改修中。残念。北里研究所は、前回は改修中だった。金沢監獄では、中央監視構造をゆっくり見たい。そんなところだ。

旧三重県庁舎。外から見ると、柱まで白漆喰で塗りこんだ建物全体のE字型配置、玄関部を挟んだ両ウィングの1階と2階を走る重層のベランダが、印象的だ。内部には廊下らしきものが、見当たらない。隣の部屋との間には、ドアがあるところと、ないところがある。ドアがなければ、ベランダに出るしかない。ペルーの副王領時代の建物にも、似たようなものがある。パティオを臨むベランダが廊下代わり。リマなら、雨らしい雨が降らないから、構わないだろうけれど。

旧三重県尋常師範学校校舎。県庁舎よりシンプルに見える。その後、移築され、小学校の校舎として使われていた。白漆喰の玄関部は、県庁舎に似ている。ウィングはひとつしかない。きっと、もともとは、両側にウィングがあったのだろう。外壁が板張りにされたウィングには教室があった。木造校舎は懐かしい。今は建て替えられてしまったけれど、僕の通った小学校も、木造だった。板張りの様子が、色は落ちてしまっていたけれど、何気に似ている。天井が高い。長い廊下の雑巾がけが大変だったのを思い出す。

ほぼ、丸一日の滞在となった。三重県関係の建物には、4つ目がある。それは、また、別の機会に。一応、目的は達成した。帝国ホテルでは、何かのロケもあったようだ。外では、ハイカラさん風の和装の女性たち、結婚式用の撮影をするグループなどなど、とすれ違った。野外博物館が、何かに使われている様子を見るのも、一興かもしれない。( 2019年3月30日脱 富田与)

 

展評 犬山散策(2)「城とまちのミュージアム・からくり館」

犬山滞在2日目。明治村で疲れた足を、多少、気にしながら、犬山城から本町通りへ。足がすくむのを覚悟で、まずは、登城。やはりすくんだ。城門で購入した周遊券には、お城のほか、城とまちのミュージアム、からくり展示館、そして、どんでん館の入場券が。全部回れれば、本町通りも通り抜けられる。

早々に、お城から、からくり展示館と、城とまちのミュージアムへ。からくり展示館は、ミュージアムの付属施設。セメントに埋め込まれた、たくさんの馬蹄たちが迎えてくれた。犬山祭りのからくり人形の展示だ。からくり人形の顔は、どこか能面に似ている。以前から、気になっていた。からくり人形の職人は、まず、能面作りから入るのだという。この展示館で、ようやく、合点。登場する人形やストーリーには、四日市祭りや萬古焼の絵と共通したものがあるようだ。

道を挟んで、城とまちのミュージアム。春季企画展「古の犬山祭り」展が開催中。まずは、入り口のジオラマに見入った。今と昔が上手く対比されている。そのまま、企画展へ。『犬山祭り行粧絵巻』(1759年)に遭遇。ビブリオバトル以来、絵巻物を見つけると、しばらく、動けなくなる(書評 プレイバック・ビブリオバトル(4)『十二世紀のアニメーション 国宝絵巻物に見る映画的・アニメ的なるもの』(1)(2)参照)。人物は小さいものの、この絵巻でも、確かに、視線が表現されている。いまの犬山祭りも、まだ、見たことはないのだが、この絵巻には、いまの形ができる以前の様子が、描かれているのだという。

最後は、どんでん館で、本物の山車を見た。途中、本町通りを通り抜けた。城下町を歩く、と言うよりは、歴史の微風に吹かれながら、小洒落れたストリートを散策しているような感じだ。桜もいい。旅人たちは、かなり若い。春休みのせいもあるのだろうが、やはり、犬山婚の街ということか。ここでも、結婚式用のビデオ撮影とすれ違った。( 2019年3月30日脱 富田与)

 

展評 三重県立美術館 常設展(1)(2

(1)

常設展を見に県美に立ち寄った。特別展がない時に行くのは初めてだ。目的があった。第3室で開かれている、常設企画展メタモルフォーシス コレクションにひそむ蟲たち。4月20日に始まる増山雪斎展に先行した関連展示だ。長島藩主、増山雪斎は、小さな生き物を愛した文人大名だったという。

展示作品は22点、19点は日本人作家、外国人作家が3人。一番時間をかけたのは、M.C.エッシャーのメタモルフォーシスⅡと、ホセ・マリア・シシリアの、蜜蜂の巣箱Ⅲ。どちらも初めて見る。

メタモルフォーシスは、エッシャーならではのトロンプ・ルイユ、いわゆる、だまし絵だ。メタモルフォーシスつまり変態あるいは変身の流れを、様々に繋いだ絵巻物になっている。文字から始まり、チェス盤、イモリのような姿に変わり、蜂の成長、ようするに変態。今度は蜂から魚や鳥へ、食物連鎖あるいは進化か。それが、ルビンの壺のように図地を反転させながら、景色を見る鳥から見られる景色へ。いったん連続が途切れ、チェス盤に。さらにチェス盤から文字へと戻っていく。チェスを打ちながらの追憶のようでもある。左から右へと流れていく。右から左へ戻っていくと、微視と巨視の世界を往復できる。見る人が少なく、何往復か楽しめた。

シシリアの蜜蜂の巣箱Ⅲは、やはり、県美にある、衝立小さな花々、と同じで蠟を使った作品だ。1m四方ほどの木枠のなかに、蜂の巣と蜂を蠟で埋め込んでいる。蜂の巣は本物のようだが、蜂の方はどうだろう。白い蠟の表目は、重なりのない線だけで出来たマーブル模様のような図柄が、凹凸になっている。こんな木枠が10点並んでいる。流れるような表面の図柄は、線の太さ、密度、図の形、すべてが異なり、海面の波のようになっているところもある。見比べながら、この図柄に見入っていると、蜂の羽音が聞こえてきた。長野の寓居の近くに養蜂園がある。小さな頃、巣箱に近づきしばしば叱られた。巣の近くに群がる蜂の羽音には、模様がある。群れの密度や、蜂たちの動く方向で音に波模様ができる。蠟の表面の模様と、耳によみがえった蜜蜂たちの羽音が、見事に重なって聞こえた。

(2)

第3室では、日本人作家のなかに、三輪勇之助を見つけた。四日市の出身である。昆虫採集に行った時。大きく描かれたカミキリムシと、背景にある樹木の根とが、何気に繋がっている。実際には、土のなかの根は見えるはずがない。いわゆるダブル・イメージなのだろう。シュールレアリズムのようだと言えば、確かに、そうも言えそうだけれど、小学校の夏休みに昆虫採集にはまった時期のある僕にとっては、過剰なほどリアルだ。カミキリムシやカブトムシは、根元で見つかることも多い。見つけたときには、大物に見える。釣り談義と同じだ。

この日は、総合文化センターと石水博物館を往復する用があり、県美は、ちょうどその途中でもあった。県民の日で入場は無料。そのせいか、途中から少し増え始めた来場者には、大学生ぐらいの二人連れが多かった。デートだろうか。

第1室は、近代日本の洋画。第2室は、西洋近代名選。通り過ぎるつもりでいた。第2室では、ボナールの、ヴェルノンのセーヌ川、を見つけた。何度か見てはいる。2017年の春に、三菱一号館美術館で、オルセーのナビ派展を見てから、ナビ派が気に入り始めている。残念ながら近辺では、まとめて見られるところが少ない。ヤマザキマザック美術館ぐらいかな。

ボナールで足を止めたせいだろう。第1室では、寺田政明の、花、で立ち止まった。黄色のせいだろうか、セリュジエの、愛の森を流れるアヴェン川、を思い出した。オルセー展で見ている。ゴーガンがセルジュエに伝えたとされる、見えた色を置いて行け、という話を思い出した。

最後に、宇佐美圭司の、銀河鉄道、に見入ってしまった。偶然である。直前に、総文と続く県立図書館の入り口で、宇佐美の ホリゾンテ を見つけていた。ホリゾンテは初めて見た。いや、気づいた。東大の食堂で何度か見た、きづな、を思い出した。一昨年、改修工事のなかで、取り壊されたという。津では、すぐ近くで2点並んでいるのに。( 2019年4月14日脱 富田与 )

 

展評 川喜多半泥子の愛蔵品―茶道具を中心に―

(1)

桜吹雪が迎えてくれた。セーターを邪魔に感じる季節となり、ネルの長袖を着たままだった僕には、林のなかを抜ける静かな風が心地よかった。建物の前には、背の高い山桜がある。ちょうど、林を抜けたそよ風が、高い枝から花びらたちを運び出すところだった。

石水博物館。津市垂水の、千歳山の少し奥まった中腹にある。決して行きやすい場所ではない。博物館に続く最後の道は、車の行き違いすらできない細い道なのに、曲がりくねっていて見通しがきかない。3年前、初めて来た時には、運転に気をとられ、2回、前を通り過ごした。今回は、迷うことなく、どうやら桜吹雪に間に合った。

2011年、いまの場所に移築された。ここには、伊勢の豪商川喜田家の資料、その16代目の代当主半泥子の作品や関連資料などがある。3年前には、川喜多半泥子の旅展、を見に来た。欧米やアジア各地で集めた、半泥子のコレクションが展示されていた。その中に、マティスとボナールがあった。ひとつには、それが見たかった。その時には、ダンスを表現したマティスの切り絵のような、半泥子のスケッチを見つけて、確か、水泳だったか、水球だったか、ちょっとうれしくなった。

もうひとつは、半泥子の美意識みたいなものが、かなり前から引っかかっていた。四日市に来てから知ったのだけれど、陶芸作家半泥子には、百五銀行の頭取を務めた実業だったり、市議会議員や県議会議員を務めた政治家だったり、という顔がある。陶芸は、趣味だったようで、本格的に作陶を始めたのは、還暦近くになってからだという。大学時代だったと思うのだけれど、半泥子の作品を初めて見てから、関係の資料を見るたびに、ときどき思う。どこが好いんだろう。いまでも、しばしば首を傾げる。今回出かけたのも、その延長だった。

(2)

駄洒落だろうか。3年前にも同じようなことを考えた。モノと言葉と行動が、ひとまとまりの駄洒落になっている、ようだ。遊び心、と言えば聞こえもいいのかもしれないが、やはり、駄洒落だろう。どこからか、なぁんちゃって、と言う声が聞こえてくるようだ。

半泥子がもっとも愛したとされるのが、古伊賀水差の、鬼の首、だ。県指定文化財にもなっている。今回の出品目録でも、番号は1、展示されているのも、第1展示室を入って正面の、廊下からも見えるところだ。京都の美術商に懇願して、ようやく手に入れたものらしい。鬼の首をとった、と言うことだろう。それを銘にしてしまった。キャプションには、句のようなものも書かれていたが、メモを取るのを忘れていた。よくあることだ。

ビロード釉が掛かった胴は、腹腔の窪みのように中ほどでへこみ、口が、上ではなくて、少し、こちらを向いている。なるほど、いささかえぐい想像だけれど、頭を切られた首に見えなくもない。持ち手だろうか、肩のあたりに、左右の出っ張りがある。鬼の両肩にも、見立てられるか。思わず、吹き出してしまった。まわりを見た。誰もいない。よかった。

他にも、幾つか、なぁんちゃって、を見つけた。いや、失敬なのも承知だし、おそらく、もっと的確な表現があるのだろうとも思う。自分に引き付け過ぎだと言われれば、それまでだけれど、ちょっと親近感が湧いた。やっぱり、駄洒落はいい。

帰りぎわ、何だか、悪戯小僧と遊んで帰る夕間暮れのような、不思議な懐かしさを感じた。美意識の話は、すっかり忘れていた。おもしろかった。いや、おかしかった。( 2019年4月15日脱 富田与)

 

展評 M.C.エッシャー展(1)(2)

(1)メタモルフォーゼのこと

 M.C.エッシャー展。菰野のパラミタミュージアム。エッシャーに再会した。おそらく同じ作品に。わずかに10日ほどの時間を隔てて、もちろん、違う場所で。エッシャーの絵巻物のような長い版画。三重県立美術館で見たばかりだ。「展評 三重県立美術館 常設展(1)」でも紹介している。期せずしての再会だった。

その作品は、特別展の最後にあった。展示は、ほぼ、年代順に並んでいる。制作年を見ると晩年ではない。作品の大きさもあるだろうけれど、エッシャーの転機といった意味合いでもあるのだろうか。キャプションを見て、ひとつ気になった。あとで、2つの点の展覧会の展示作品リストを並べながら、県美に電話を入れた。県美の展示作品リストでは、「メタモルフォーシス」となっているのに、パラミタミュージアムのリストでは「メタモルフォーゼ」とある。図録でもそうなっている。作品自体の左右の文字の部分にも、Metamorphose、とある。

こちらの疑問をお伝えすると、調べてから折り返してくれるという。わざわざ調べて下さったようだ。電話が入った。購入時期の違いで名称が違っているのではないか、という。収蔵館によっては、両方を併記しているところもあるそうだ。ちなみに、パラミタミュージアムで展示されていたのは、長崎のハウステンボス美術館のコレクションである。

2階にある特別展の会場に向かうスロープでは、いつも萬古焼のコレクションの一部がテーマ展示されている。このときは有節萬古が展示されていた。有節萬古は「展評 古萬古 ―弄山生誕301年目の春―展」でも触れている。この時は、腥臙脂釉(しょうえんじゆう)をかけた作品が多く、腥臙脂釉のピンク色が目に鮮やかだった。( A. T. )

 

(2)似ている

スロープに展示された有節萬古だが、はじめは、日本らしい季節を活かしたうつわの展示ぐらいに思っていた。ところが、エッシャー展を見ていると、その中にあるいくつかの作品が、有節萬古の絵柄のいくつかと似ているような気がしはじめた。

特に、オールオーバーで描かれた桜の花と葉の絵柄のなかには、葉の造形が連続的に変化しているように見え、そうした葉が大きく波打つ曲線に沿って並べられているように見えるものがある。円形に配置されているように見えるところもある。連続的な造形の変化は、例えばエッシャーの「太陽と月」に描かれた翼の形をわずかに変えながら飛ぶ鳥の様子にも似ている。曲線に沿った配置は、例えば、繋がった2つの渦に沿って魚が並べられた「渦巻き」に。他にも似た感じの作品が点々と。近くにいた係りの方に聞いてみた。有節萬古は、やはり桜の季節にちなんでの展示のようで、エッシャーとの対比を意図しているわけではないという。そういう鑑賞のされ方もあるかもしれませんね、という話だ。それにしても似ている。

前回パラミタミュージアムを訪ねたのは、エロール・ル・カイン展の時だ。その時は、まだ寒く、タバコを吸いにガーデンに出ると体が小さくなった。今回はワイシャツを腕まくりしながら館内を回った。2か月の間に、どうやら、季節は春を通り越したようだ。2階から降りて、ガーデン脇の灰皿に立ち寄った。ちょうど正面に、小さな黄色い花の群れが見えた。見覚えがある。山吹だろう。長野だと5月に入ってからの花だ。今回のアイキャッチに使うことにした。( 2019年4月27日脱 富田与)

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