展評 第14回パラミタ陶芸大賞展  二代目萬屋仁兵衛展

  • 2019/7/10

(1)第14回パラミタ陶芸大賞展 展示

今年も陶芸大賞展の季節がやって来た。特に理由はないのだが、毎年、投票期限直前に足を運ぶ。できるだけ投票権は行使するようにしている。そのせいもあって、展示数は少ないのだけれど、普段と同じくらいの時間がかかるのが常だ。他ではめったに経験しない「品定め」の鑑賞とでも言えるだろうか。

毎年思うことだけれど、パラミタ陶芸展は展示空間が心地いい。作家ひとりひとりの展示空間は、作家自身が直接デザインするのだという。展示される幾つかの作品の配置、照明でできる作品の影などなど、作品ひとつひとつを見ながらも、ひとりひとりの展示空間には、作品そのものとは違ったもうひとつの面白さがある。それぞれがインスタレーション作品のようでもあり、時に導線に迷いながら、その中をうろうろするのも楽しい。

そんな展示空間が、パーテーションのないホワイトキューブのなかに並ぶ。それぞれが独立しながらも、隣の展示空間にもとどく照明のせいもあってか、重なり合う部分もできているようで、会場全体も普段とは違った、おそらく偶然が作る、ひとつのインスタレーションのようにも見える。

そんな空間の作りのせいなのか、全体に通じる通奏低音のようなものを感じることが多い。陶芸がモノである以上、そこにあるのは造詣には違いない。ただ、ここ何年か、「器」から離れた作品が多くなったように感じていた。もちろん「器」と言ってもすぐに使える実用品と言う意味ではなく、何かを入れるための造形物と言った感じか。その「何かを入れる」という感じが希薄になっていたように思っていた。今年は違った。必ずしも「器」のようには見えない作品も含めて、全体に「器」を感じた。

年によるのだけれど、時間が取れれば開票後にもう一度出かける。生憎、授賞式出られたのは一度だけだが、授賞式にはノミネートされた作家が一堂に会し、直接お話が聞けるまたとない機会だ。今年はどうなるだろう。(A.T.)

 

(2)第14回パラミタ陶芸大賞展 作品

気分と状況次第で見方は色々だ。今年は、同時開催の「二代目萬屋仁兵衛展」にまず足を運んだ。からくり人形の実演の時間が迫っていたからだ。実演を見てから陶芸大賞の会場に戻る途中、二階ロビーに置かれた各作家のコメントと一点ずつの作品たちを見た。会場内にキャプションが少ないのもこの陶芸大賞展の特徴だろう。会場とロビーを行ったり来たりしながら「品定め」をするのも悪くない。

ロビーでは、「器」はあまり気にならなかった。「器」が気になり始めたのは、会場を一巡してからだ。一巡してから、ロビーに戻り各作家のコメントを読むと、やはり、6人のうち4人までは「器」と言う言葉を、1名はそれを連想させる表現を登場させている。とはいえ、「器」と言っても色々だ。

高橋奈己や柳井友一の作品は実際に使ってみたくなる。高橋作品の白は、きっと自然光の下や家の中に置いたら見え方がかなり違うだろう。置く場所を変えながら遊べそうだ。柳井作品は、展示や作品に含まれる色や形状の不思議な非対称性もさることながら、どんな料理を盛り付けようかと、実用への興味が直ぐに湧いた。上出恵悟の展示は、どこかトロンプ・ルイユ(だまし絵)のようで、やられた、と思った。コメントを読むと、また、全然違った思考の流れが発火した。思弁的とでも言ったらいいのだろうか。井口大輔の作品は、僕がしばらく前から気になっていた「制作時に作家は作品の劣化をどの程度考えているのか」という疑問に、気が付いてなかった角度から手掛かりをくれた。作品のなかで最初から錆が表現されている。

松永圭太のコメントには「器」は出てこない。ただ、作品は間違いなく「器」で、内部の空間の動きや変化(膨張、縮小などなど)に応じて変わりゆく「器」の形状の瞬間をとらえているように見えた。加藤智也のコメントにも「器」はない。「器」と言わなくてもいいのかもしれないのだけれど、展示空間を共有する他の作品たちの文脈のせいか、不思議な形の中にあるに違いない空間の方に、なぜか僕の意識は向かった。

今年も投票権は行使した。ただ、僕の直感が、多数派の感性と共鳴したことは、いまだかつて一度もない。(A.T.)

 

(3)二代目萬屋仁兵衛展

パラミタミュージアムでは、常設されているからくり人形「納曽利」の実演が通常午前中と午後に1回ずつ行われる。以前は時々見ていたのだけれど、もう数年は見ていなかった。この日、11時からの実演を久しぶりに見た。理由があった。開催中の「二代目萬屋仁兵衛展」で展示されている作品の実演が、その後に予定されていたからだ。

二代目萬屋仁兵衛。日本に残る数少ないからくり人形作家のひとりで、この地域ともかかわりが深い。「納曽利」の作者であり、四日市の大入道の修理も手掛けたことがあるという。さらに今年は「女石橋」がパラミタミュージアムに加わるそうだ。今回の展覧会は、二代目萬屋仁兵衛自身が企画したものだと言う。展示されているのは、彼が制作したり修理したりした作品ばかりで、個人などが所蔵するものが多く、これらが一堂に会するのは初めてだという。大入道もあった。

この日は、午前と午後の2回、展示作品の実演があり、午後の2回目には二代目萬屋仁兵衛自身が登場し、講演もあった。1回目には、唐子人形と御所人形が紹介された。屋台などで見る唐子とは違い、使い手のしぐさと唐子の、ちょっと危なっかしい、動きをまぢかに見ることができた。2回目は多彩で、茶運び人形、牛若丸の橋渡、三番叟人形、そして新しい女石橋が実演された。それぞれに使われ方や操り方が違っていて、人形の動きばかりではなく、その周りの人の動きも面白い。当たり前のような話ではあるのだけれど、人形は、展示されている時よりは、やはり人と関わっている時の方が、本来の姿なのかもしれない。

二代目萬屋仁兵衛のお話は、書き始めればきりがないのだけれど、「作りすぎると粋ではなくなる。野暮になる」という、釣竿職人の話を引きながらのこの部分は、虚を突かれたようで、考えさせられた。講演の余韻を頭に残しながら、例によって、中庭でタバコに火をつけた。この日は、紫陽花がきれいだった。前日、蛍を見に立ち寄ったなばなの里でも紫陽花を見た。この季節が終わる頃、大入道の夏が来る。(A.T.)

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