展評 陶磁2展 「ロイヤル・コペンハーゲンのアール・ヌーヴォー」、「魅了する 煌めく薩摩」

  • 2019/8/10

(1)「ロイヤル・コペンハーゲンのアール・ヌーヴォー」

前世紀の終わり頃、クリスマスのイヤープレートを集めたことがある。といってもクリスマスケーキを予約した時のおまけなのだが。そのケーキ屋が入ったスーパーでもイヤープレートが並べられていた。売り物である。この頃、イヤープレートを集めるのがちょっとした流行りになっていた。おまけはもちろんロイヤル・コペンハーゲンではなかったし、スーパーにロイヤル・コペンハーゲンがあったかどうかは覚束ないが、ロイヤル・コペンハーゲンという名称が僕の頭に残るようになったのは、間違いなくこの時期のことである。

ヤマザキマザック美術館、「ロイヤル・コペンハーゲンのアール・ヌーヴォー―」展。何かの展覧会のなかでロイヤル・コペンハーゲンをいくつか見つけることはこれまでにもあった。とはいえ、創設初期の18世紀末から19世紀末のアール・ヌーヴォー期までのロイヤル・コペンハーゲンをまとめて見たのは、おそらくこれが初めてだ。後からガイドブックを読んでわかったのだけれど、今回展示された塩川コレクションは国内唯一のこの時期のロイヤル・コペンハーゲン・コレクションだという。コレクションには、ロイヤル・コペンハーゲンのほかにビング・オー・グレンダーもあり、この展覧会でも展示されていた。

ある時期の萬古焼を見るたびに思う。欧州と日本との間には意匠や技法の往復運動があったのではないか。ここでも同じことを考えた。いや、確認できたというべきかもしれない。ロイヤル・コペンハーゲンとビング・オー・グランダーに共通した技法に彩下釉がある。当時制作できたのはこの2社だけで、酸化コバルトの青のグラデーションは、日本の絵画の雰囲気を出すための工夫だという。初期の意匠には北斎漫画からの影響も見られる。ここまでは日本から往路である。この展覧会では日本人作家の作品もわずかに展示されている。例えば、錦光山宗兵衛。ロイヤル・コペンハーゲンの「眠り猫」を模した作品を残している。日本への復路であろう。

この展覧会では、作品の一部が、常設のアール・ヌーヴォーの家具と組み合わせた設えになっている。ヤマザキマザック美術館ならではの贅沢と言えよう。視覚だけではなく、アール・ヌーヴォーの時代の雰囲気の一端を、そこはかと体感させてくれた。 (A.T.)

(2)「魅了する 煌めく薩摩」

「魅了する 煌めく薩摩」展、横山美術館。ヤマザキマザック美術館との距離はわずかで、ほぼ一年前の「瀬戸ノベルティ」展の時もヤマザキマザック美術館と梯子をした。簡単に歩いて行ける。はずなのだが、昼前後の時間帯はそれなりの覚悟がいる。この時期はかなり暑い。うっかり展覧会に夢中になり昼飯時を逃してしまうと、手軽に食べられる所を探すのにも多少時間がかかる。

輸出期の薩摩焼を見るとしばしば違和感を覚える。デパートなどで並べられている今の薩摩焼の中に、時々、似たような作品、いや商品か、を見つけることはある。もちろん手が出るような価格ではない。輸出向けに作られていたものが高価な商品としていまでも作られているということだろう。とはいえ、違和感の理由が価格にあるわけではない。

この展覧会ではそんな違和感が、普段以上にあった。作品の多くでは、まるで日本的であることを拒否しているかのように、もちろん通説を信じればの話だが、絵柄のない空白あるいは空間、いわゆる「間」が少ない。萬古焼や他の焼物にも「間」のないものはあるし、今回展示されたものの中にも、充分に「間」のある作品があるのは確かだけれど、直前に見たロイヤル・コペンハーゲン展では、まったく逆に、かなり「間」のある作品が多いのが気になっていたせいか、そんな違和感が普段以上に強く感じられた。はじめは、薩摩焼の起源が朝鮮から渡来した陶工だったことと関係があるのでは、とも思った、のだけれど、デパートで売られている薩摩焼を思い出して、早々にその仮説は棄却した。

会場に置かれた図録を、やはりロイヤル・コペンハーゲン展の記憶と重ねながら見ていると、京薩摩の陶工の中に錦光山宗兵衛の名前がある。ロイヤル・コペンハーゲンの「眠る猫」を模した作品を残したのと同一人物であろう。そういえば、この薩摩焼の展覧会の中では、洋風の作品は意外に少ない。日本的であることばかりではなく、洋風であることも、この展覧会の薩摩焼は拒否しているように思えた。もちろん、この展覧会を見た限りのディレッタントの感想に過ぎないのだけれど。

図録には、薩摩焼が欧州で評価されるようになったのは、1867年の第2回パリ万博の時だ、とある。この万博では、薩摩は、江戸幕府による日本とは別で参加している。うがち過ぎかもしれないが、僕がこの時期の薩摩焼に覚える違和感、日本的であることも洋風であることも拒否したような頑そうな美意識の背景には、ひょっとしたら、パリ万博に独自に参加したSatsumaの気概のようなものがあるのかもしれない、と思った。(A.T.)

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