展評 「ミニチュアワーク 小島隆雄の世界 1/12のキセキ」

  • 2019/8/12

小さかった頃、友達が持っていたレゴやプラレールがうらやましかった。色々な意味で融通の利く両親だったが、おもちゃについては経済的制約が先行した。夢がかなったのは、自分に子どもができてからだ。子どもを出汁に、レゴやプラレールをずいぶんと買い込んだ。組み合わせて小さな町を作ったり、レゴで家を作ったりするのが楽しかった。20年近く前の話である。

「ミニチュアワーク 小島隆雄の世界 1/12のキセキ」、四日市市文化会館第2展示室。いわゆる玩具のドールハウスの展覧会だろう、と思って立ち寄った。意外な世界がそこにはあった。作品を見進めるうちに、どうも1/12ではないものが点々とあることに気付いた。お菓子屋さんのクッキー缶やパン屋さんのパン。もしその縮尺だとすると、人の頭よりかなり大きくなりそうだ。しばらく進むと、家の形がゆがんでいるメルヘンになる。さらに行くと、どうやらこんな隠れ家が欲しい、と作家が考えたのであろうロマンが現れる。終わり近くの一角には、造詣の面白さを見せてくれるアートもあった。

展示を見ながら、2013年に四日市市立博物館で開催された本池秀夫の「革の世界」展を思い出した。こちらは人形が中心だが、家の中の小物も人形と一緒に並べられていた。どれも革で出来ている。小島の世界もそうだが、本池の世界も、実在する世界を再現しようとした再現性と作家がこうしたいという姿や情景を表現したいわば理想の構築とが混在している。どちらの作品にも、それが再現性の高いものであっても、何がしかの物語を感じた。仮にそれが玩具として使われることがあっても、そこにあるドールハウスや人形たちの並びには、遊び手の物語とは違った、作り手の物語が隠れているに違いない。

レゴやプラレールにも、遊び方の説明や作り方のアイディアが示されていたりはするが、物語とは違う。設計者やデザイナーには、物語があるには違いない。ただ、残念ながら、設計者やデザイナーの名前や顔、ましてそこにある物語に、思いが及ぶ遊び手は多くはないだろう。その方が、遊び手には、それで何かを作った時に初めて、再現性と理想の構築とが混在した、自分の小さな世界ができたのだと感じられやすいのも確かだろう。少なくとも、僕とレゴやプラレールとのつきあいはそんな感じだった。

実際、たくさんの誰かが遊ぶ玩具としては、レゴやプラレールの方が使い勝手は良さそうだ。小島作品との違いはその辺りにあるような気がする。待てよ、ひょっとすると小島作品は、作家自身の玩具なのかもしれない。そういえば、本池も、ギャラリートークで、どの作品についてだったか、自分のおもちゃのようなものだと言っていたような気がする。(A.T.)

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