展評 あいちトリエンナーレ2019

  • 2019/10/1

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それまでばらばらに考えていた、あるいは感じていたことが、まとまって集約的に表現される場面に遭遇することが時々ある。国際関係などだと、それはある出来事であったり、誰かの発言であったりする。あいちトリエンナーレ2019、これも出来事と言えば出来事なのだが、ようやく時間を見つけて訪ねることができた僕には、ちょうど、ここ何年か、特にここ半年ほどのあいだ気になり続けていた色々なことたち、歴史と個人の経験、記憶と忘却、視線と語り、フェイク・ニュースなどなどが、まとまって表現されている場所だった。

美術館などのホワイトキューブでの展示とは違い、会場は幾つもありしかも離れている。名古屋だけで、愛知芸術文化センター会場、名古屋市美術館会場、そして四間道・円頓寺会場の3会場があり、更に豊田には豊田市美術館と豊田市駅周辺会場がある。9月初めに飛び石で2日間をかけて愛知芸術文化センター会場と四間道・円頓寺会場の2会場を周った。残りの会場は、また別の機会に。

今年のテーマは「情の時代」。タブロイド判のプログラムの表紙によると、「情」(不安な感情やそれを煽る情報)を「情」(情け、思いやり)によって飼いならす「技(アート)」をわれわれは身に付ける必要がある、という。第1日目、まず、愛知芸術文化センターに行った。10階でチケットを買って会場に入ると、いきなり、展示中止の告知が書かれた紙が貼られたロラ・ガルシアの「ロミオ」のポスターが目に入ってきた。事前に承知していたとはいえ、異様な光景には違いない。8月の開幕早々「表現の不自由展 その後」が、そこに展示された「平和の少女像」を巡って展示中止となっていた。その後、この措置に抗議した参加アーティストの何組かが、展示の組み換えや展示中止を発表していた。

「ロミオ」のポスターに貼られた告知の最後には賛同するアーティストの名前がある。その中に一人だけ、日本人アーティストがいた。田中功起である。この日は展示中止中の田中作品「抽象・家族」の一時公開とその後にはトークとディスカッションが予定されていた。今回の出来事が無くても、外国にルーツを持つ人々が登場する「抽象・家族」はどうしても見たい作品のひとつだった。一時公開が始まる14時までの時間を使って会場内を見て歩くことにした。実際に見ることができたのは10作品に満たなかった。しかもそのうち3分の1程度は展示を中止していた。(A.T.)

(2)

最初にポスターを見た「ロミオ」はスペインの作家ドラ・ガルシアの作品。冷戦時代に旧東ドイツで編み出された諜報戦略に着想を得た、観客を巻き込んだパーフォーマンスだという。プログラムには、ポスターを見れば何が行なわれているかは分かる、とある。パーフォーマーが、誰にでも話しかけ「仕込まれた出会い」を作り出す作品のようだ。入場口を通過する頃から、僕の頭は混乱し始めた。「ロミオ」のポスターの写真の部分には展示中止を伝える告知の紙が貼られ顔の見えないパーフォーマーもいる。にもかかわらず、入場口では、「ロミオ」のパーフォーマーが会場を回っていて話しかけてくるかもしれない、と教えられた。「ロミオ」は中止しているのか活動中なのか。

鑑賞者を宙ぶらりんにさせてしまうような、僕の頭の中のこの不可解な混乱は、この日丸一日続いた。展示中止とされた作品のすべてが、撤去されたり何かの方法で覆い隠されたりしているわけではない。愛知芸術文化センター会場では、CIR(調査報道センター)、タニア・ブルゲラ、ピア・カミル、レジーナ・ホセ・ガリンド、イム・ミヌク、パク・チャンキョン、そしてハビエル・テジェスが展示室を閉鎖、キャンディス・ブレイツも閉鎖したとはいえ土曜と日曜には通常の展示を行い、クラウディア・マルティネス・ガライは映像作品の上映のみを中止、また、田中功起は展示内容の変更のため展示室を閉鎖しながらも一時的な公開はしていた。対応は様々だ。

このうち、ペルーの歴史をテーマにしたクラウディア・マルティネス・ガライの「・・でも、あなたは私のものと一緒にいられる・・」の作品は、展示中止であることがかえって僕の記憶を刺激したようだ。作品番号、作家名、コンセプト、そして展示中止の告知を書いたキャプションと紙だけが、本来ならば流されていた映像がなく設えだけが残る照明の落とされたその空間が、実は、映像を使ったインスタレーション作品なのだということを見る者に教えていた。僕にとっては馴染みのあるペルーの歴史や社会を思い起こしながら、その半開きの空間を見ていると、征服の歴史を独自の解釈で演じた村祭りを扱ったナタン・ワシュテルの『敗者の想像力』、植民地、テロリズム、情報統制といった著作や言葉たちが記憶の中から蘇ってきた。展示中止であるからこそかえって、記憶の中からよりたくさんの想像を喚起してくれたことは間違いなさそうだ。展示中止という展示方法、と言ったら言い過ぎだろうか。(A.T.)

(3)

 8月17日、田中功起は「不安についての短い手紙」を公表し、展示会場の実質的な閉鎖と展示の集会化による再構成を発表した。田中功起の作品「抽象・家族」。「複数の人間が、過去、現在、未来において、ある出来事や経験を共有することは可能か」をテーマとした映像、インスタレーション、トーク、集会などによって構成される作品。構成される、というのは、期間中に開催されるトークや集会も作品の一部で、集会に参加するというのは、作品に加わるということのようだ。当然、「表現の不自由展 その後」も話題になるだろう。

前半の2時間は映像を含めた田中のインスタレーションを鑑賞した。映像には、ボリビア、朝鮮半島、バングラディッシュ、ブラジルにルーツのある親を持ち日本語を母語とする4人が登場する。4人は抽象画の制作や集会のほか一軒家に集まった偶然の「家族」として生活する。会場には、制作された抽象画や使われたテーブル、田中の制作したテキストなどが展示されている。僕は「表現の不自由展 その後」が争点とされる以前から、田中のこの作品には関心があった。特に、お盆に松代大本営を訪ねた後には、僕自身の大本営への拘りとシンクロした問題意識を感じていた。

映像作品のなかで特に引っかかったフレーズが2つあった。「3・11以降、同調圧力が強くなったような気がする」という趣旨のボリビア系の女性の発言と、「神様でない人間ができる許しは、忘れることぐらいだ」という趣旨の朝鮮半島系の男性の発言である。例えば、3・11以降の自粛やボランティアは各自の自発的な行為であるべきだろう。ところが、そうした流れに乗らない者がそれだけで非難されるような同調圧力が感じられる場面も見られるようになった。これはどこか戦争に向かっていた戦前の風潮に似てはいないか。戦争や災害について「忘れる」べきではないという主張が独り歩きすることがある。これには違和感があった。「思い出す」ことあるいは「記録する」ことは必要だろう。しかしそれは「忘れない」こととは別の話しではないか。日常的には「忘れる」ことで救われることは、確かにある。卑近な例だが、忘れられない失恋はつらいだろう。ただ、その思い出は、ときに美しかったり、あるいは教訓にすらなるかもしれない。

後半のディスカッションでは、「ロミオ」のパーフォーマーに会った。やはり展示の閉鎖が話題になった。僕は、あいちトリエンナーレでの出来事は、その時点で、抗議の対象となりうるものが多岐にわたりすぎているような気がしていた。出口戦略、つまり、何がどうなれば、田中は閉鎖を解くのだろう。それがもうひとつ判然としないのが気にかかった。(A.T.)

(4)

 あいちトリエンナーレ飛び石で2日目、愛知芸術文化センター会場と四間道・円頓寺会場に出かけた。愛知芸術文化センターでは1日目に見ることができなかった作品たちを周り、ボランティアがコーディネーターを務めるディスカッションに加わった。この時のテーマは未来。議論をしていても、展示中止の告知が目立つこの会場では、いやでも不思議な緊張感を感ぜずにはいられなかった。

閉じられたままの「表現の不自由展 その後」の展示室の扉には、たくさんのメッセージが貼られていた。来場者が感じてきた不自由さを文字にしたものたちだ。内容は様々だ。ハラスメント、性差別、いじめ・・・、それまで言葉にされることのなかった不自由たちが、扉の上で自己主張を始めたようにも見えた。#me tooを思い出した。実際、それに近いメッセージもあった。

それぞれの作品がかつて見た別の作家の作品を想起させた作品もあった。文谷有佳里の「ガラスドローイング」は、展示室の外から作品の一部が見えた途端に、縁日の賑わいのような音が聞こえるような気がした。展示室のガラスに描かれたドローイングと、その奥の壁に掛けられた額のドローイングとが二重写しになった作品では、三重県立美術館でホセ・マリア・シシリアの「蜜蜂の巣箱Ⅲ」を見て蜂の群れの音を聞いたときのような、虫が群れるような音が聞こえた。都市化から始まり金融・情報が卓越した社会を経て人間の本質的な課題へと至る過程を時系列のように描いたマレーシアの木版画家バンクロック・スゥラップの「道化の衰退」では、まずエッシャーの「メタモルフォーシスⅡ」を思い出した。見ているうちに絵巻物に似ていると思い始め、描かれているものたちの視線を探った。視線が見える部分と見えない部分とがある。何が違うんだろう。あいちトリエンナーレのポスターにも使われている、色々なポーズをしたたくさんのピエロ像を並べたウーゴ・ロンディローネの「孤独のボキャブラリー」はさすがに圧巻だった。ピカソのアルルカンとドガの踊り子の何枚かが同時に思い出された。ピカソやドガでは感じなかったのだけれど、ピエロたちの声が聞こえてくるような気がした。

dividual inc.の「ラストワーズ/タイプトレース」は、これまでにない僕にとってはまったく新しいアート体験をさせてくれた。コンピュータの上で誰かに遺言を残す。家族へ、友人へ、恋人へ・・・。その時の入力の様子が、かかった時間や書き換えまでもが幾つも並んだディスプレーの上で再現されている。手書きの手紙が伝える微妙な心の動きを、機械が別の形で再構成しているようだった。僕の中で、デジタルな情報の「情」と、感情の「情」が重なった感じがした。ようやく「情の時代」に合点がいった。(A.T.)

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愛知芸術文化センター1階から30分おきに出発しているシャトル便を使って四間道・円頓寺会場に移動した。僕の小さかった頃にあったような商店街。名古屋駅のすぐ近くだ。愛知芸術文化センターのようなホワイトキューブでは作品ばかりではなく鑑賞する側の感性も先鋭化してしまう。それに比べこうした商店街では日常性が基調で作品たちはその間隙にうまく埋め込まれた感じがする。おそらく鑑賞という意味では商店街の方が鑑賞者の努力、集中力と言ってもいいのかもしれないが、それが必要となる。今年のトリエンナーレでは、それが逆で、ホワイトキューブの緊張感とは違い、商店街の日常系空間の方がゆったりと作品たちに接する環境を用意してくれていた。空気が違った。

商店街を歩いていると作品展示以外のものも気になる。ほとんどが商店だけれども、商店の前で遊んでいる子どもたちや聞こえてくる隣近所との会話は、まるで映画のロケ地のようであったり、半世紀ほど前へのタイムトラベルのようであったりする。途中、呉服店と提灯屋で道草を食った。呉服店では「北越雪譜」の看板が目に留まり越後の織物の新作展に入った。去年の今頃は妻有トリエンナーレを見に北越まで出かけていた話や、越後上布の話をしていると、奥から本物の越後上布でできた帯を持ってきていただいた。提灯屋はモダンな造りで、店先で声をかけられるまでそれとは気づかなかった。新作の手作り提灯を見せていただいた。欲しいな、とは思ったのだけれど、置く場所がない。

すべての展示は周ったのだけれど、幾つかは混んでいて中には入れなかった。展示中止の告知はなかったような気がする。2つの作品が気になった。梁志和(リョン・チーウォー)+黄志恒(サラ・ウォン)の「円頓寺ミーティングルーム」と葛宇路(グゥ・ユルー)の「葛宇路」である。梁志和と黄志恒は香港を拠点に活動する写真家で、ここでは、地域住民から提供を受けた古いスナップ写真から「たまたま写り込んだ無関係な人物」を抽出し、そのポーズを再現した写真を展示している。2人のうち一方がモデルとなりもう一人が撮影したという。たまたまその場に居合わせ何かに巻き込まれる。普段気づかないけれど、僕らもそんなことを繰り返しているのかもしれない。中国の葛宇路は、自らの名前を道路標識に書き込み道端に建てた。北京でも同じことを繰り返しているようだ。「葛宇」という名前の「路」がそこに生まれる。北京ではGoogle Mapにまで悪戯な道路名が掲載されたという。グラフィティ・アーティストのバンクシーも同じようなことをしている。「自由落書き地区」という偽の掲示を使って警官に落書き行為を認めさせたことがある。フェイクは、サイバー・スペースのニュースだけではく、リアル・スペースの看板にも及ぶ、か。

帰りの列車で考えた。「平和の少女像」は戦争が残した「戦後」の延長上にあるテーマだろう。その意味では、あいちトリエンナーレでの出来事も「戦後」と言えそうだ。とはいえ、表現や文化への介入は、その効果がこれから先にまで及び得る未来の問題でもある。そうであるならば、いま、僕らが考えなければならないのは、過去の戦争の延長上での出来事を、別の戦争への筋道には載せないということだ。文化庁は補助金の取り消しを発表した。今回の出来事を、別の戦争へと向かう「戦前」の出来事としてはならない。(A.T.)

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