書評 連続テレビ小説「なつぞら」の周辺 2題    『夭折画家ノオト』       『アニメーション、折にふれて』

  • 2020/3/12

(1)『夭折画家ノオト』 窪島誠一郎著 アーツアンドクラフツ 2012年

 何をもって才能と呼ぶかは議論が分かれるところだろう。他に適当な表現が見つからないので、とりあえず才能という言葉を使うが、2019年度前期に放映された朝ドラ「なつぞら」のなかには、いくつも才能が登場した。そこに描かれた才能たちには、これも表現を迷うところだが、完成あるいはそれに接近した才能、それと可能性として残された才能、とがあった。2つのうちのいずれかを担っていた登場人物もあれば、ひとりのなかにそれら2つが同居していた登場人物もある。夭折の画家、神田日勝。彼をモデルとしたとされる山田天陽(吉沢亮)は、可能性として残された才能を担っていた。

 著者の窪島誠一郎は長野県上田市に「信濃デッサン館」と「無言館」を開設し、いずれでも館主を務めている。無言館(アイキャッチの写真)は第二次世界大戦時の戦没画学生たちの作品を集めた美術館。デッサン館は夭折画家たちの作品を集めた美術館で村山槐多のコレクションが有名だ。2018年3月に無期限の休館となりコレクションは信濃美術館が引き継いだという。この本では村山槐多、神田日勝を含め12名の夭折画家が取り上げられ、画家の人物や作品の紹介がデッサン館や無言館を含めた窪島の70年間の人生の各場面でのエピソードと並置された回想録あるいは自伝のようでもある。

 神田日勝を紹介した章は「鍬と絵筆 神田日勝」と題されている。日勝は、戦争末期に家族に連れられ北海道へ開拓に入り国民学校時代から32歳8か月で他界するまでほとんどの人生を十勝の農民として生き、そのなかで絵を描いていた。まさに鍬と絵筆。この章の話題の中心は、窪島の青春時代の苦悩に並置された日勝の作品「室内風景」と、北海道鹿追町での窪島と作家小檜山博との公開対談での二人のやり取りと並置された日勝の「未完の馬」である。「未完の馬」はベニヤ板に頭から胴体の半分までの馬を描いた作品で、あいにく録画は残っていないので記憶を頼りにドラマを思い返してみると、番組でもそれを思わせる作品が登場していたように思う。ただ、未完ではなかったのではないか。

 公開対談のなかで小檜山は「未完の馬」について、あの「見えない胴」の部分には日勝の「見えなかった人生」が描かれているのだという。窪島はこれを受け、公開対談での発言ではないようだが、この絵は「描かれなかった半分の『馬』の姿はこの絵を見るあなたがたの心の裡にあるはずです」と言いたげだ、と解釈する。公開対談の話に戻り、窪島は、これは最初から未完を予想した作品で、ある意味では完成作なのではないかとし、日勝を「最後まで自分とは何者かという疑問を必死に追いつづけ、ついにその答えを見いだせないまま世を去った画家だったのではないでしょうか」と続けている。こうした解釈は、ドラマでは主人公奥原なつ(広瀬すず)が天陽を回想する何回かのシーンのなかで語られている。そしてそれらは、何人かの登場人物が自らの人生に迷う時に繰り返し引用されるライトモティーフのようになっていた。と、言ったら思い入れが過ぎるであろうか。(富田与)

  (2)『アニメーション、折にふれて』 高畑勲著 岩波現代文庫 2019年

 連続テレビ小説「なつぞら」の話だが、『夭折画家ノオト』で見た神田日勝をモデルとした山田天陽が可能性として残された才能を担っていたとするならば、完成あるいはそれに接近した才能を担っていたひとりが、坂場一久(中川大志)だろう。主人公奥原なつの東洋映画でのアニメーターの後輩でその後恋に落ち結婚する。高畑勲がモデルとなっているという。

 『アニメーション、折にふれて』は2018年に他界した高畑の生前最後のエッセイ集だ。2013年に出版され2019年に文庫化された。実は、この本の存在はずうっと知らずにおり、平積みされた文庫本を書店で見つけた。帯に宮崎駿の言葉がある。「パクさんの教養は圧倒的だった。ぼくは得がたい人にめぐり会えたのだとうれしかった」。パクさんとは高畑のことである。そのまま購入して読んだ。かなり大部の本で、普段以上の時間をかけて読み終わった後で、帯の言葉を思い出しながら考えた。高畑の教養は人から敬遠されるようなものではなく、むしろ、まわりの人を惹きつける求心力だった。それは高畑が教養を教養として表現するのではなくアニメのような別の形にして表現していたからではないか。そのとき教養は表現の裏づけとなったり、新しい表現方法の手掛かりとなったりしていた。そこに作り手が集まり作品が作られ、作られた作品を見る者をも魅了した。高畑は、教養があるだけではなくその使い方が上手な人だったに違いない。

 この本を手にしたとき、当たり前ではあるのだが、アニメーションの話が書かれているのだろうと思った。ところが、読み進めると、もちろんアニメの話と関連させながらではあるのだけれど、日本文化論、景観論、絵巻物、日本語、絵画、映画、子ども、戦争などなど、内容は広範で多岐にわたっている。外国の文化やアニメと日本のそれとを比べた比較文化論のような部分もある。読み手の教養を信じているのか、教養書などにありがちが上から目線での蛇足のような解説はなく、高畑に対等な話し相手として信頼されているようで心地良かった。4章の「一緒にやって来た仲間たち」や5章の「漫画映画のつくりかた」を読むときには、そこまで読み進めながら感じでいたこの心地よさのようなものを、そこに登場してくる人たちも、もちろんそんな時ばかりではないだろうけれど、感じていたのかもしれないと思った。先にドラマを見ていたが故の、贅沢な妄想ではあるけれど・・。

 ドラマが放映されたころ高畑はすでに鬼籍の人だったので、完成した才能、という言い方も許されよう。この本には、ところどころに、ドラマで参照されていたのではないかと思わせる箇所がある。単行本の出版は放映前なので参照してもおかしくはない。坂場一久に完成した才能に接近する時代の高畑のある部分を担わせていたのは、ドラマを思い返すにつけ頷けるところが少なくない。放映前にこの本を読んでいれば、ドラマにも違った見方があったのかもしれないと思うと・・・、多少悔やまれはする。(富田与)

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