時事雑感 COVID-19が見せてくれたこと

  • 2020/3/31

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 いま世界で起きていることを何と呼んだらいいのだろうか。原因となっているものははっきりとしている。COVID-19である。これが感染症の原因となり、その感染症が世界規模で広がっている。その意味では、いま世界で起きていることはパンデミックであることには間違いはない。何と呼んだらいいのか迷っているのはそのことではない。COVID-19やパンデミックの周りでは、毎回の正時ニュースの大半を占めるほどの出来事が起きている。パンデミックは世界規模の出来事でしかもその影響が多方面に及んでいるのだから、「グローバル化」という表現と相性が良さそうに見える。実際、COVID-19が幾つかの国境を越え始めたころには、感染が国境を越えて拡大をはじめたのはグローバル化が進んだせいだ、という認識が報道でもしばしば伝えられていた。この場合COVID-19を運んでいるのはヒトであり、国境を越えたヒトの移動がなければCOVID-19が国境を越えることはなく、そうした国境を越えたヒトの移動が活発化することがグローバク化と呼ばれるとすれば、確かに、そのグローバル化が無ければCOVID-19が引き起こす感染症が世界規模で拡大することはなく、パンデミックは発生のしようがない。ところが、最近になり、正確に調べたわけでないけれど、COVID-19に関係した報道でグローバル化という言葉はあまり使われなくなってはいないだろうか。いまさらグローバル化は言うまでもない、ということかもしれないが、他にも、思い当たる幾つかの理由らしきものがある。

 ある時期までCOVID-19は幾つかの国が関係したグローバルな話題ではあったけれど、日本の問題ではなかった。日本での発症例はあったにせよ、数が少なかったり、クルーズ船の話であったりで身近な問題と感じる人は少なく、あくまで国際報道として伝わってくる情報と捉えられていたように思う。ところが、いまでは、自分自身の日常に関わる身近な問題であり、COVID-19に関する報道もそれまでとは違い生活に直接関わる台風情報や地震情報に近くなった。地震情報よりも台風情報により近いかもしれない。地震に関する情報の多くは実際にその地震が起きてから伝えられる。一般的な意味での地震への備えはできるものの、その時に起きたその地震のための準備というのは、いまのところ緊急地震速報を例外として、できない。台風情報の場合は、接近状況からその規模や特徴まで、自分のいるところに到達するまでの情報が伝えられ、それを頼りにその台風のための備えができる。COVID-19についても、外国での出来事のように自分では何もできない問題ではなく、台風のように自分で備えができる問題となったと言うことだ。グローバルな問題だったものが日本の問題となった、と言いたいところだが、実際には、グローバルな問題であり続けながらも、それが日本に接近したことで、日本のそれもごく身近な問題ともなり、日本政府やあるいは自分自身でもそれぞれの対応の仕方が考えられるような問題となった、という方が実際に近いだろう。つまり、COVID-19を考えるとき、いまでは、グローバル化云々以上に、どうやって身を守るかの方が重要になったということである。

(2)

 同じようなことは欧州や米州でも起きている。では、そうした国々ではCOVID-19による感染症の世界規模での拡大にどのように対応しているのだろうか。グローバル化を、国境を越えたヒト、モノ、カネ、情報の動きの拡大と考えるならば、COVID-19による感染症への対応は、国境管理の強化によるいわゆる水際作戦に注力され、グローバル化とは真逆な操作がそこでは行われている。WHOは、当初、水際作戦のようなヒト・モノの動きを制限する必要はないとしていた。その頃、ひとつの国の中の話であるとはいえ、中国ではすでに武漢の都市閉鎖いわゆるロックダウンを始めていた。欧米のメディアからは、以前からの人権問題もあり、そうした中国の対応を非難する声が聞かれた。その後、世界の他の地域で感染拡大が加速し始めた頃、中国ではロックダウンの成果らしきものが見え始め、今度は、中国のやり方がひとつのモデルのようにさえ報じられるようになった。その後の対応も含め中国のようなやり方がモデルになるか否かは見方が分かれたままだ。とはいえ、いまでは、イタリア、スペイン、米国など感染拡大が急速に進む国ではもちろん、それ以外の国々でもヒトの移動は大きく制限されている。EU諸国間でも、重傷者の外国からの受け入れなどの例外的な場合を除き国境は再び越えがたい線となりつつある。つまり、それまでグローバル化と呼ばれていたものとは真逆の操作がグローバルに承認された定石のようになり、それまでグローバル化と呼ばれてきたものに大きな揺さぶりをかけていることは間違いない。

 グローバル化という表現が、何か望ましい事あるいはもう止められない潮流といった意味合いを持つ言葉として重用されるようになったのは、1989年に冷戦が終結し、1990年代に新自由主義が強い影響力を持つようになってからだろう。貿易の自由化が推奨され、国際会議や国際機関などでの国際協調も当然視されるようになり、国境の壁を小さくしようとするEUの実験も始まっていた。いい時代だったと言えば、確かにいい時代だったのかもしれない。しかし、その時代は、冷戦終結の頃に楽観的に考えられていたように永続するようなものではなかった。2010年代後半以降今日まで、自由貿易の旗振り役だった米国ではトランプ政権が貿易規制や国境管理の強化を進め、EUでは英国が脱退し、域外から流入する移民に対してはその対応で加盟国の足並みがそろえられない。そしてそこに、国境の壁を再び高くするようなCOVID-19対策が加わった。貿易規制にしても移民問題にしてもあるいはCOVID-19対策にしても、それらは対立や分裂の原因となりうるものばかりだ。ただ、厄介なのは、それでもグローバル化は続いているということだ。モノもカネも情報もグローバルに動き続けているし、ヒトの流れもグローバルな流れの再開を待っている。 結局、パンデミックのなかで世界がいま経験しているのは、引き続くグローバル化と国家機能の再強化とも言うべき逆向きに見える2つの流れが、協調と対立というやはり相矛盾しているかに見える2つの関係性を併存させながら進展している、如何とも説明しにくい状況だろう。BBC(英)やAljazeera(英語版)のようなテレビ報道ばかりか、EL Pais(スペイン)やNYT(米国)のような新聞報道までHPにLive UpdateやEn Directoを置くようになった。どちらも速報性のあるレポートを逐次更新するブログのようなものだ。テレビ系のHPでは大きな事件や事故あるいは試合の時にはしばしばLive Updateが設けられる。新聞系のHPにこうしたものが置かれるのは珍しい。どうやら、いまは、「グローバル化」のような何かまとまった枠組みを前提に情報を整理するのではなく、COVID-19が僕らに見せてくれている現実を、それは当面Live UpdateやEn Directoのようなものに頼るしかないとはいえ、まずはじっくりと見続けなければならない時期だということなのだろう。生活者としても、研究者としても。(富田与)

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