時事雑感 睥睨(へいげい)する銅像たち ―入門演習の議論から―

  • 2020/8/7

(1)

 6月8日、英国の港町ブリストルでの話しである。街に建てられていた奴隷商人エドワード・クルストンの銅像が引き倒され、街のハーバーに投げ込まれた。その週末、それまで平和的に行われていた反人種主義抗議運動が、警察と衝突した直後の出来事だった。ブリストルはストリート・アーティストとして知られるようになったバンクシーの出身地であり、かねてから人種問題とつながる作品も手掛けてきたバンクシーがやはり反応した。バンクシーは翌6月9日に自らのインスタグラムに、クルストンの銅像の首にケーブルが巻かれ引き倒されるシーンを描いたドローイングを投稿し、それには「俺たちは、あいつを水から引きだして台座に据え直し、あいつの首にケーブルを巻きあいつの銅像を引き倒している抗議する人々の等身大のブロンズ像を建てるのがいい。誰もがハッピーだった、あの日を記念して」という短なテクストが添えられている。

 公園やストリートに立つ歴史上の人物の銅像には、「睥睨(へいげい)」という古風な表現がふさわしいような気がする。それを見る僕らからすれば、睨まれている、あるいは台座の上から見下ろされている、と言ったところだろうか。1994年夏、ロシア滞在中だった僕は、ボルガ下りのクルーズに出かけ、途中、カスピ海に近いアストラハンに寄った。モンゴル勢力、トルコ、ペルシア、そしてロシアの間でその領有を巡る争いが繰り返され、17世紀にはステンカ・ラージンの乱の舞台ともなったアストラハンには、如何にも砦を思わせるクレムリン(城)が残されている。そこにレーニン像が立っていた。1991年のソビエト連邦崩壊後、各地に建てられていたレーニン像は市民などにより引き倒され、その様子は、1991年の湾岸戦争後にイラクでサダム・フセイン像が引き倒されたときの様子とならび20世紀の映像としてしばしば引用される。珍しそうに銅像を見上げる僕の前で、農民風の初老の女性が腕をいっぱいに伸ばしながら睥睨するレーニンを指さし、「何を見ているんだ。こいつには散々苦しめられたんだ」、と如何にも忌々しそうに何度も何度も激しい身振りで悪態をつき、「いつまでも見ているんじゃない」と僕を追い立てた。社会主義体制の崩壊とはこういうことか、と身体感覚として記憶された。  

 #BlackLivesMatter(BLM)の運動が世界各地に広がるなかで、人種主義の端緒に関連した幾つもの銅像が引き倒され、その様子はニュース映像やSNSを通じて報じられるようになった。ブリストルの映像もニュースで見た。その度にアストラハンでの記憶が呼び覚まされる。銅像が引き倒され姿を消してしまえば、僕がアストラハンでしたような歴史に直接関わるような生々しい経験ができる機会が失われはしないか。そのうちに、歴史の記憶は引き継がれなくなり、さらに歴史そのものも書き換えられはしないか。歴史を書き替えたり、実際にあった出来事をなかった事にしたりすることが反人種主義運動の目的ではないだろう。問題のある現状を変えることと、それに関わる歴史や記憶の手掛かりを無くすこととが混同され始めているようだ。

  (2)

 BLMがSNS上で見られるようになったのは2013年頃だという。それが大きな抗議運動として注目されるきっかけとなったのが今年5月25日に米国ミネアポリスで発生した白人警官による黒人容疑者の殺人事件である。殺害されたジョージ・フロイドは偽ドル札の使用容疑で拘束され、手錠をかけられたまま頸部を警官に膝で押さえつけられ息ができずに死亡した。その様子を撮影した動画がSNS等で拡がり、BLMのネットワークを通して人種主義に抗議する運動が、米国内のみならず世界各地に広がった。BLMの抗議活動が特に目立っているのは、かつてアフリカに植民地を有していた国々である事は言うまでもない。

 今年の抗議運動で特徴的なのは、人種主義の歴史にまつわる歴史上の人物たちの銅像が幾つも引き倒されている点だ。米国では南北戦争当時、奴隷解放に反対だった南部連合の指導者たちの銅像はもとより、南北アメリカ大陸の植民地化と関係するスペイン人やイタリア人の銅像が引き倒されたり撤去されたりしている。ヴァージニア州では、奴隷制度を推進した南部連合の司令官リー将軍の銅像が破損されたのちに州政府により撤去された。サン・フランシスコでは北軍の将軍グラントの銅像が狙われた。他にはジョージ・ワシントン初代米国大統領、セオドア・ルーズベルト大統領などの米国の政治家や文化人などの銅像や肖像も排除の対象とされている。それだけではない。オハイオ州コロンバスではその地名の起源ともなっているクリストファー・コロンブス(イタリア人)の銅像の撤去が発表され、サン・フランシスコではスペイン人作家ミゲル・デ・セルバンテスの銅像に落書き、スペイン人宣教師フニペロ・セラの銅像が引き倒されている。

 こうした動きは欧州に飛び火した。6月8日の英国ブリストルでの奴隷商人コルスストンの銅像が引き下ろされた出来事もそうした動きのひとつだった。英国のエディンバラでは、奴隷制度の廃止に反対した政治家ヘンリー・ダンダスの銅像が落書きされ、市議会はこれを受け、奴隷制度の関連に配慮した説明を付記した説明版を銅像に添えると発表した。この他にも、ロンドンの議会前広場では元英国首相チャーチルの銅像に落書きがされ、マハトマ・ガンジーの銅像は防護版で囲われた。オックスフォード大学では、ローズ奨学金で知られる帝国主義者で実業家のセシル・ローズの銅像の撤去が発表された。英国以外にも、コンゴを植民地化したベルギー国王レオポルド2世の銅像やデンマークのコペンハーゲンではリトルマーメイド像にも落書きがなされるなど、地理的にも銅像の属性にもかなり広範な動きとなっているのは間違いなさそうである。 歴史は時に気まぐれのように出来過ぎと思えるような出来事を連続させることがある。今年の米国もそうだ。黒人などの権利を主張し1960年代に活発化した公民権運動の指導者のひとりジョン・ルイス、そしてマーガレット・ミッチェル原作の南北戦争時代の南部を主な舞台とした映画『風と共に去りぬ』でヒロインのスカーレット・オハラの親友であり恋敵のメラニー・ハミルトンを演じたオリヴィア・デ・ハヴィランドが、ともにこの時期に世を去った。BLMの根は米国の歴史の深部にまでたどれ文化や社会に広く食い込んでいることを再確認させられる2つの訃報だった。

  (3)

 2013年12月8日、ウクライナの首都キエフで独立広場に立っていたレーニンの銅像が反政府デモ隊により引き倒された。当時のヤヌコビッチ大統領がEU(欧州連合)との協定を拒否しロシアに接近する政策を打ち出したことへの反発がきっかけだった。2014年3月のロシアによるクリミア併合へと向かう「ウクライナ騒乱」の前哨戦だった。この時も僕は、アストラハンで会ったレーニン像に怒りを爆発させていた農婦のことを思い出していた。ソ連崩壊後もウクライナではかなりのレーニン像が残されていたようで、ウクライナ騒乱のなかでは25個ほどのレーニン像が引き倒されたとされる。

アーティストの大山エンリコイサムは著書『ストリートの美術』の「表現空間のために―アブデスメッドからクロックタワーまで」で、「2013年は、とくに公共彫刻にとって厄年だった」とし、日本のほか世界各地で公共彫刻を巡って展示が中止されたり一部が布などで覆い隠されたりという出来事が続いたことを紹介している。そのなかでキエフでのレーニン像引き倒しに触れ、「偶像に対する熱狂がもっとも過激に表出したのは、キエフのレーニン像の倒壊だろう。それは怒りの感情が生んだ熱狂である。(中略)その倒壊には歴史的なインパクトがあり、ここに概観してきた他のケースとは一線を画している」としている。確かにレーニン像の場合は、作品の表現やその展示といった「表現の自由」などに関わる問題ではなく、BLMのなかで続く銅像の倒壊とも共通した歴史に根を持つ「怒りの感情が生んだ熱狂」の表出であり、他の事例とは「一線」を画している。

 今年も1年生対象の入門演習Ⅰ(留学生クラス)で「落米のおそれあり」を取り上げた。街なかのシャッターに「落石のおそれあり」という道路標識を模して描かれた岡本光博のグラフィティ・アートで、米軍機の墜落事故、米軍の駐留などを連想させるグラフィティが並んでいる。2017年に沖縄県うるま市で開催されたアート・プロジェクトで、市民からの意見を受けた市の判断で展示中止とされた。昨年のあいちトリエンナーレでの企画展「表現の不自由展・その後」でも展示されていた。ところが慰安婦を象徴したとされる「平和の少女像」が展示の中にあったことなどから「表現の不自由展・その後」展自体が8月3日で中止となり、会期終了間近に再開されるまで閉鎖されたままだった。「平和の少女像」は銅像ではないし「公共彫刻」でもない。この間に噴出した議論の多くは「表現の自由」に関するものだったが、大山の言う「一線」のようなものをここに引くのは容易ではない。

  昨年と同様に授業の中でも議論は白熱した。ただ、これも昨年と同様に、表現に関する議論よりは歴史に関わる議論が多かった。バンクシーが6月9日のクルストンのドローイングに付けた「テクスト」が思い出された。「テクスト」からは、「歴史は消すのではなく残せ」、「いまの出来事も歴史として残せ」、そして「これから、どうする」といった、過去、現在、そして未来に向けたメッセージが読み取れ、それは見事なまでに「落米のおそれあり」を巡る留学生たちの議論の論点と重なっている。バンクシーが嫌味いっぱいにメッセージを向けたのが誰であったかにかかわらず、入門演習Ⅰでの留学生たちの議論は、面白いほど、そのメッセージに同期しているように見えた。(富田与)

関連記事

受験生サイト
環境情報学部
情報センター
ページ上部へ戻る